たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

さよならふしあわせ

わたしはきっとつまらない

これからつまらない。

不幸だったから面白かったんだよ

これからもっと不幸になってくださいというDM、今でも思い出す。あの人は正しい。

不幸じゃないわたしはつまらない、書くこともつまらない。

つまらなくなったと言われるのは悔しいし悲しい、でもそれでいいじゃないかとも思う

世の中には人生を削るみたいに文を書く人がいる

(中村うさぎとか)

しかしまあああいうのは才能で、たぶんだいたいのひとは人生を削るみたいな文を書いていたら本当に大事なところまで削れていって死んでしまうのだと思う

それならわたしはつまらなくていいな

久しぶりに近所のノーセックスさんに会った時、べろべろの彼がお前はつまらなくなったけどそれでいいしそれがいいんだと言った

もちろんつまらなくなった自覚はあるので、しばらく刺さって苦しかったけどなんとなく収まるべきところに収まって、ずいぶん楽になった

不幸だったクソブログの読者様がどうかはわからないが、この世にはつまらなくなった、ただのしあわせな20歳のわたしやかとうまなを喜んでくれる人がいる。

だからもう安心してつまらなくてしあわせな20歳になろうと思う

これからも母親は夢に出るだろうし(生霊かよと思う)眠れずに迎える朝があるだろう

だけどまあきっとなんとかやるよ

こんなクソブログ続けてきてよかったな

死にそうだったとき、コメントや星に何度も励まされて生きてきた。ありがとう不幸好きなのか物好きなのか知らないけど読者様

今日も明日ももう泣かないで生きるんだ

さよならかわいそうで不幸せなまなちゃん

 

あ、やめるみたいなテンションで書いたけどやめないよつまらなくなっても文章を書くのは変わらずに好きだ

 

今日の朝死んじゃおうかと思ったけどやめた

今日の朝死んじゃおうかと思ったけどやめた

松田がわたしより苦しい顔をしたからやめた

いつも通り朝6時過ぎの新宿駅で、わたしは家に帰ってズタボロだったときと同じようにオーバードーズして首でも吊ってやろうと密かに思った。

それなのに松田がわたしをズタボロにしてくれないから、どうでもいいものとして扱ってくれないから、死ぬのをやめてしまった

わたし今日絶対面倒くさいから家に帰る、という、もうすでに面倒くささで満ち溢れた一言に松田は嫌だったらいいけどしんどいならうちにいたら?と言って、結局ホームでも帰り道でもぐずぐず泣く面倒くさいわたしを家に連れて帰った

家に着くと死なないならいくらでも困らせていいとか、しんどい時はしんどいって言っていいんだなどと言われたのでいよいよ本降りで泣いて、しばらくぼんやりしてからもうぼろぼろになる愛は嫌なことや松田は正しい愛情のやり方をするから好きになったこと、それから死なないように頑張るとこたえた

松田は不安なのか眠いのか疲れたのかわからない顔をしていたけど、満足気な顔をして頷いて、それなら頑張ろうと思ってたけどもう二度とまなを殴らない、俺は殴らないやり方しかできないけどいい?と聞いたので、それでいいと返した

ずっとズタボロでいれば同じようにわたしをズタボロにした母親のやり方が正しかったのだと思えるけれど、松田はわたしをズタボロにしないし、正しかったから、今までが間違いだったことに気づいてしまった

だからもう間違ったままではいられないのだと思う

間違いだった今までを真っ向から否定する強さもなければ間違ったまま生きるほどおちられないわたしはやっぱり強くなって今までを否定しなきゃいけない自分を肯定するしかないのだ

頑張るわたしを見守ってやると松田が言ったから、いつでも心配してご飯に行ってくれる数少ない友人がいるから、だから頑張る

なにもかも踏み台にしてすすめ!まなちゃん!

 

 

はやくしんでしまえ

好きなら殴ってよと言ってしまえばいいのか

向き合えないほどには正気を失えなくて逃避してしまうほどには正気でない。

1ヶ月前、暴力断ちをすると言ったら松田さんが嬉しそうな顔をした。この人が喜ぶなら頑張ろうと思ったのに殴られなくなった途端、自分を人であると認識した途端、母親の夢ばかり見るようになった。

鬼の顔をした母に追いかけられる夢、お願いだから死んでくださいと泣きながら伝える夢、何度も何度も繰り返し見る。

何度見ても慣れなくて何度も何度も死にたくなる。あと何年、あと何回、あんな夢を見て泣いたらこんな地獄みたいな日は終わるんだろうか

人にも自分にも優しくできなくてどんどん追い詰めて追い詰められてもうなにもかもだめになる

いつかそうやって自分の人生も終わらせるのだと思う

母からも昔からも逃げられなくてこのままずっと逃げ切ることもできない。もう終わらせてしまいたいのにちょっとだけ生きられる気がしている自分にも嫌気がさす

早く死んでしまえよ

どうでもいいから野菜スープの暴力受け取っておくね

愛ってなに?

なんだかもうよくわからないことばかりずっと考えている

おととい、風邪をひいた

そこそこに酔って松田さんの家に行って倒れるように寝て起きたら喉が痛くて、急に熱が上がった。直前でバイトを休んで、家で寝ていてと言う言葉に甘えて松田さんが野菜スープを作る音を聞きながら狭くて苦しい感じの睡眠を繰り返していた

スープを少しだけ、あと薬を飲んでまた眠って起きたら真っ暗で部屋にはわたししかいなくてさみしかった。ただ苦しいとさみしいだけが頭にぼやぼや浮かんで涙が出てきたから何にも考えないようにまた寝た。

いつも通り風邪の夢を見て、次に起きたら松田さんが出かけにセットしていったであろう洗濯機が動いている音がして、もうすぐ彼が帰ってくる時間になっていた

しばらくうたた寝を繰り返して曖昧な時間を過ごしているとドアの開く音がして1人きりの時間が終わった

わたわたと栄養剤やプリン(全く覚えていないのだが電話でプリンが食べたいとのたまったらしい)を冷たい手で差し出して冷却シートをおでこに貼る松田さんを眺めていたらまた涙が出てきて、弱った人間は嫌だなと他人事みたいに思った

薬をもう一度飲んだら少しからだが動くようになったのでシャワーを浴びて、彼が作ってくれたナポリタンを食べてまた寝た。

愛情ってそういうことなんだろう

風邪の日のスープとかプリンとか、そういうのを愛情って言うんでしょう

相手の手に残る殴った跡とか、次の週まで残る痣とか、そういうのは愛情って言わないんでしょ

泣いちゃいたいな

''普通''の愛情をこんなにもらったのに、それなのにまだ、痛みやくるしさを愛情だと思いたい自分が悲しくて悔しくて泣いちゃいたい

もうちょっと、あと少しだけ頑張って大人になればいつか普通の愛情がわかる日がくるのだろうか

真っ当な愛情をまっすぐに受け取ったり自分の優しさも嘘ものじゃないと思える日はくるだろうか

そんな日がきても今までの自分も他人も許して前なんて向いていけるだろうか

今は全部なんてわからない

わからないからとりあえずスープもプリンも、優しさの暴力として受け取っておくことにする

痛くない暴力だ

こうして過ごしていたらいつかきっと悩まなくなる日も、愛情も優しさも知る日も来る。

だって頑張るし、だからまなちゃんは絶対にもう大丈夫

さて、まあそういうわけで大絶賛体調不良で声が出なくなったのでお前らも風邪には気をつけてね、おやすみ

普通じゃない

わたしは元々普通が好きだ。

高校を辞めた時や風俗で働いた時、経験人数が100を超えた時、それからハプニングバーで働き始めた時にも何より落ち込んだのは普通から外れてしまう、ということだった

自分の望む普通や誰かの希望通り、まじめに高校生活を終えて高学歴だと言われるような大学に入っていたら、今頃大学3年生だった。たぶん、サークルやバイトで少し羽目を外して、お酒を飲んだり飲まれたりしているうちになんとなく3年間が終わっていただろうと思う。

今頃からインターンに追われるようになって、来年なんとなく受かった会社に就職を決めてなんとなく社会人になって、なんとなく出会った人とほどよく付き合って結婚しただろう。そういう人生が送りたかったのに思っていたのとずっと違う人生になった

わたしを囲んだ大人たちから全速力で逃げているうちにすっかり大半の普通も当たり前もなくしてしまった

だから本当に死のうと思っていた。

電化製品も夏の服もほとんど処分して、遺書も書いた。3月公開の映画予告を見ればもう見られないんだなとぼんやり思ったし、冬服を買うたび春まで着られなくてごめんねと心の中で呟いた。

だけどどうやら生きていけるみたいだ

もう普通には戻れないけれど、来年3月に公開するという映画を見られるし薬を飲みすぎて朦朧とした意識の中で死ぬことばかり考えなくていい。それから今年買ったコートを来年も着られる、死にたくないと言ったら生きていていいよって返してくれる人がいる、ただそれだけで生きていてよかったと思う

永遠に終わらないカラオケも24時間営業の焼肉屋もこれから何度でも先輩と行ける。

いつか行きたかった美術館も続きが気になっていた漫画も、全部諦めなくていい。

普通じゃないけどもういいよ生きていけるならもう普通なんて望まないよ

神様仏様読者様どうもありがとういきててよかった

眠いし黒染めが終わるので適当に終わらせましたどうもすみません。今日は元気です。(風邪ひいて喉ガッサガサだけど)

 

普通に宣伝なんですけど

死ぬほど金欠である。バイトをしているのに本当に餓死しそうな数ヶ月を過ごしてきたが、もう無理ィ!と思いこの度アルバイトを増やしました

もう空腹に耐えかねて猫のカリカリとかかじりたくないんだ……………

新宿にあるBarぐりぐりぐりむというお店です。(風林会館の近く)

まなちゃんに会いたいという特殊な人がいましたら来てね(セックスなどしないけれども)

お前になにがわかる

お前になにがわかるんだよ

半年ぶりに母親に会いに行った

暴力と愛情の間で堂々巡りする自分がかわいそうで仕方なかったから行った

果たして暴力や暴言は愛情だったのか、ただの一度も八つ当たりやストレス発散だったことはないのか。

わたしのこと好きだった?

何度も何度も何度も聞こうとして聞けなかった

結論から言えば今日も聞けなかった

そしておそらくこの先聞こうと試みることさえないだろうと思う

何か食べに行きますかという質問に、はいと返信して近所の中華料理屋に行った

歩いている途中、看護学校に来年からきちんと戻ると思うというわたしの話を遮って彼女は、あんたのやっていること全部おかしいよね、おかしいと思うよね?と聞いた。さらに、私と同じだからあんたのことは何でもわかると続ける。

いつもの質問、いつもの台詞だった。そして20年間の刷り込みだ。わたしのやっていることはおかしい。全部おかしい。わたしの頭がおかしいからで、わたしが悪い。 

なにもおかしくない、生きるのに精一杯だったんだよと言った。わたしがその問いかけに反論したのは初めてだったことに気づいたのか、そうでないのかはわからないけれど、彼女は大きなため息を吐いてどんどん先に歩いて行ってしまった。それも、「いつもの」だった。ずっと小さい時から待ってくれない彼女を追いかけて追いかけて追いかけ続けて、もうついに追いかけることをやめていつもこうして後ろ姿ばかり眺めていた。相変わらず後ろ姿は疲れていて、わざとらしく頭を掻きむしったりする姿さえいつも通りで何だかもう本気で嫌になってしまった。

もういいですから帰りましょうという一言を飲み込んで入った油汚れだらけの中華料理屋で、わたしは小籠包と五目あんかけを、彼女はビールと胡瓜を頼んだ。

この人になにを聞いても無駄だと当たり障りない話をして30分くらいを過ごして、当然少しずつわたしの全部を否定する彼女の全てを諦めようと決め、やはり当たり障りない挨拶をして別れた。直後に入ったコンビニエンスストアのトイレで食べたものを全て戻した瞬間に涙も悔しさも悲しさも全部が溢れた

ただのろのろ歩くわたしとどんどん先へ行ってしまう彼女のちょうど間の速さで一緒に歩きたかっただけなのに、ただ今日あったことを聞いて欲しかっただけなのに、ただ好きだって言って欲しかっただけなのに、もう何も叶わない。悲しくてどうしようもなくてしゃがみこんだままくらくらする頭で今度こそは諦めようと何周も何周も考えた。

一生確かめられないであろう彼女の愛情の形も、暴力の意味も、もういい。何も聞かない何も求めない。ただこうやってたまに会って当たり障りないことを話すようにする。

それを当たり前にして、こんなに仲良く話しているのにわたしを愛していなかったはずなどないと言い聞かせる。曲がった感情を愛情として受け入れる努力と愛されていなかったことを認める努力、どちらも上手にできないわたしはこうやってちゅうぶらりんでやるのがいいだろう、きっと

ちゅうぶらりんなままでもわたしはわたしの愛情を見つけて絶対しあわせになる。諦めるのは母からの愛情だけでいい。誰かに与える愛情も他の誰かがくれる愛情も必ず手に入れる。

まあ正直そこまで前向きにはいけないんだけれども、もう手に入らないものにいつまでも縋るのはやめてちゃんとわたしはわたしで生きたいなと思う

だっていつか母のしあわせを心から願いたいよ