たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

不幸な死を遂げた20代女性になりたい欲

わたしはたぶんしあわせに死ねない

この間看護学校に通っている先輩とどういう死を迎えるか割と真剣に討論していたのだがおまえには絶対きれいなまま死んで欲しいと言われた

ある友人は絶対恨まれて死ぬよと言うし、またある人は社会に適合できないままなら20代中盤で死ぬねと言っていた

極端すぎるのよエブリワン。

でもそう思う、全部を総合すればわたしは20代中盤で人に恨まれて綺麗なまま死ぬことになるのだがそれはもはや二股もしくは不倫の果てに毒殺とかされるしかないのでは、、、、、ドキドキしちゃう、、、、アン////

馬鹿か。

いやまあでもそれもいいなと思うのである

愛され過ぎて死ぬとかめっちゃアリじゃあん♡と馬鹿な脳みそは考える

わたしは大好きな人が生きているうちに死にたい

自分が死んでいくその瞬間、同じ世界で大好きな友人も大好きだった元恋人たちも普通に息をして笑ったり泣いたりしながらも明日のことを考えている、そんなに素晴らしいことがあるだろうか

そんなだいすきな人たちが生きている希望だけ見て明日からのことを何も考えることなく死んでいけるのはものすごいことじゃないか

 

しかしここで残念なお知らせがあるのだが、わたしは友人や知人が思っているほどクズではないし当然ながらきれいなまま死ねるほど尊くもない(そもそも生きていてもそんなにきれいではない)

誰かの好意を弄ぶようなことはしたくないし、だから人と付き合っているときは精一杯好きだし、だけど別れたらワンナイトのひとつや1つや2つはするけど、、みたいなまあつまりなんにおいても中途半端な人間なのである

毒殺されるほど愛される人間でもなければ恨まれる人間でもない

(殺すほどわたしのことを憎む権利があるとすれば元婚約者くらい)(いや恨まれてんじゃん)

そういうわけなのでやはり若めなうちに自殺するしかないかなあとなんとなく楽しい気持ちで思ったりもする

まあ殺されても自殺しても不幸な死を遂げた20代女性だと言われることは間違いないのでとりあえず最後までやりきろうと思う。え、何を?