たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

わたしたちは好きの残像を見てる

みんな大好きサキコシリーズである
彼女は最近クソクソのクソみたいな男に引っかかって絶賛メンヘラなので日曜の日が高いうちから不忍池で感傷に浸ろうツアーをし、こんなにクズだとわかっているのにまだ好きだと思うのはなんなのかと言う話をしている最中にポイと投げ捨てたこのわたくしの名言が、好きの残像を見てるだけだよである
わたしたちは好きの残像を見ている。サキコはクソ男に、わたしは元彼(何度も言うがもう元々彼氏)に

だけどサキコに残った好きの残像、早く消えろと思うしそのままいてくれよとも思っていた

残像かそうではないかわからないままならつらくて悲しいけどうっすらと幸せで、そのままでよかった

だけどサキコはそんな馬鹿じゃない、クソクソのクソに振り回されるような女ではないからそろそろクソへの好きは残像だとはっきり気づきはじめているようだった

タイム トゥー供養である

そうしてわたしたちはまたコーラで乾杯して串カツをむしゃむしゃ食べて、早く次いこ次!と言って、だけどやっぱりかなしくてちょっと涙ぐんだりして、結局カラオケに流れ込み、もちろんサキコはクズへのレクイエムを歌いしっかり3粒くらい涙を流して、平井堅に世界はお前を置いて行かねえよと文句をつけたりした
しかし悼みきれずもはや夜になった不忍池へ再びいそいそと向かい、1時間ほど池の周りでぐずぐずした
あーいさなくていいから〜を垂れ流し半泣きのサキコと池にへばりつきちゅうちゅうグローを吸うわたしは側からみれば恐ろしく酔っ払った馬鹿な2人に見えたかもしれないがまあいいよ
コーラで酔えるお年頃なのだ、アルコールなんて入れなくても恋に酔うはたちを過ごしたわたしたちは絶対幸せになる。

来年もきっとお互い今年とは違う人のことを考えながら上野の桜を見て笑ったり泣いたりするのだろうが、コーラで酔えなくなるころには薄ぼんやりと幸せを掴もうと固く決心しわたしたちは0時21分の日暮里駅にて別れたのであった