たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

戸棚の音が階段を登る音が

幼少期に怖かったことって今も怖いよねっていう話

わたしは母親のことが好きだけど同じくらい怖い今もたぶんこれからも

16歳から20歳になる冬まで母と会話をしなかった

17歳の冬に家を出てから実家では暮らしていない

母と和解した今でもあの家にいれば殺されるという感覚は体に染み付いている

機嫌が悪いと戸棚が跳ねるように閉まって怒鳴られた事も、ヒステリーを起こした彼女に部屋の荷物を全部庭に投げ捨てられた事も、わたしが死ねばいいの?と泣き喚きながらものすごい勢いで階段を登ってくる狂気じみた顔に怯えてお母さんに殺される助けてと暗くて狭いロフトで電話した事も忘れらんないよ

去年母と話をするまでの4年間、何度も鬼の顔をした母に階段で追いかける夢を見た

人間おかしなもので、沢山行ったはずの海外旅行のことも毎年のクリスマスの事も忘れるくせに、自分の母親が鬼の顔をしている記憶というのはなかなか忘れられないものなのである

全ては母のひねくれた愛であったと頭ではわかっていても今でも戸棚の音に、階段を登る音や上から伸びる手に怯えてしまう

母にかかった鬼の呪いはいつか解けるのだろうか

いつかは来るのか母の愛情は本当に愛情だったのか私はあの家で加害者だったのか被害者だったのかもう何も考えないで今もいる