たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

他人と目を合わせられない27歳が生きる世界で

誰のために何を書くのかとたまに考える

お金ももらっていないのに誰のために何を書けばいいのかわからなくなり、ストレス解消ができなくなって追い詰められることが割とよくある

そうしてもう死にたいなと思ったとき他人と目を合わせられない27歳という人がくれたコメントをいつも思い出す

たとえば明日とかを始める前にはてなで、黒髪にしてもブスだったというブログをやっていたのだが色々あってやめることを決め、やめるよんという話を書いた時にコメントをくれたのが27歳だった

わたしのことを憧れだと言って自分もここまでがむしゃらに生きてみたいと思ってしまったと書いてあった

世界でたった1人かもしれないけれど、わたしのブログを読んで「生きてみたいと思ってしまった」人間がいるという事実にわたしは泣いた

黒髪にしてもブスだったはしばらく非公開にしていたし、もう27歳がこのブログを読むことはないかもしれない

だけどこの世界のどこかであのブログを読んで、がむしゃらに生きてみたいと思ってくれた27歳がたまにわたしのことを思い出してくれるのならもう少し死にたくないと思うのだ

だから今日も他人と目を合わせられない27歳が生きる世界でヤケクソな日常を書いて生きている

いつかむちゃくちゃ有名になったら27歳を探し出してどうにかお礼が言いたいとか夢みたいなことを考えたりもする