たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

ずっとおかえりを探してる

ずっとおかえりを探してる

物心ついたときにはただいまと帰ってきても誰もいなかった

誰もいないドアをあけて、誰?おまえ誰?なになに警報鳴らしていい?とわめくセコムを黙らせてから2時間くらい本を読んでいると大きなため息とともに母親が帰ってきて、何かしらで彼女の導線に火がつき、まなはうちの子じゃない出て行けが始まる

時にはベランダで、時にはドアの外で、ごめんなさいちゃんとするからと泣きわめいては、ちゃんとするからのちゃんとって何?と繰り返し怒鳴られてはまた泣いて、泣き疲れたころやっとご飯になる

そういう具合の悪い毎日をなんとかやり過ごして中学生になると、なんでお前帰ってきてるんだよここはお前の家じゃないと怒鳴る弟が待っているようになった

母は相変わらず疲れた顔で帰ってきて、出て行けと、大事だから怒るの、を繰り返していた

おかえりを言うのは時々機嫌の良い母親と、月の4分の1も家にいない父だけだった

初めて正しいおかえりをくれたのは高校生になってから付き合った年上の彼氏と、そのあと同棲していた元婚約者だけだったけど、どちらもなくしてしまった

現状おかえりを言う人はいないから当然ただいまと言う習慣もなくなった

昨日ふと思いついて猫にただいまと言ったらエサくれやというドスのきいたにゃーんが返ってきたのでもう2度と言ってやるもんかと決めて毛布にくるまっている

いつか毎日ただいまおかえりとおやすみを言って寝られる日を手にしてやるんだと言い聞かせながら今日も眠るんだと思う

おやすみ