たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

おとなこども

生きて大人になってよかったのか

よく思う

大人になって良かったなあと思うことは沢山ある。

それは普通の21歳と同じだと思う

深夜の映画館でバカでかいコーラを飲んだり、何時でも関係なく漫画喫茶にもカラオケにも行けて、たばこを買う時の年齢確認に怯えなくても良い

でも大人はつらい。全部ではないけれど、子供の時よりわかってしまう、わかりたくなかったことも、それからわからなくなったこともずっとある

何もかも愛だと思っていた。牛の毛がちくちくするから嫌いだった四角いソファで、大好きだと抱きしめられたことだけが全てだった

抱きしめられたときの嫌悪感は今も忘れない

あれはちくちくの嫌悪感ではなかったのだと大人になったから気づいた

でもあれが本当の大好きだったと信じている自分もどこかにいるんだろう

だからわたしは子供でも大人でもないのだ

これから見た目も立場もどんどん大人になる

それなのに愛を信じたい子供のままのわたしはどんどん大きくなる

どちらが前なんだろうか

たぶん嘘ものの愛なんて信じている馬鹿な子供のままではだめなんだろう

しかしながらのうのうと深夜に映画館でコーラを飲んで、ああ幸せだとは思えないし、愛なんて別にわからなくてもいいや〜などと考えることは絶対にないだろう

こうやってよくわからない葛藤を繰り返すのが大人なのだろうか。わかってしまったし、わからないから仕方ないのか、それもわからない

でもわたしは深夜の映画館でコーラを飲んで幸せだと思いたいし、母親言った大好きの意味を知りたい

それは子供なのか大人なのかかわからないけどこの感情は前なのだと思う

だから明日も進むんだよ、まなちゃん