わたしは無宗教である
唯一わたしを救った神様はくたびれた合皮の靴を履いた20歳の大学生だった
そんな神様の話をしようと思う
彼と出会ったのは中学3年生の夏だった
もう6年も前になる。化学方程式に苦戦していた休み時間、担当の先生のピンチヒッターとして駆り出されたのがその人だった
N先生としておく
彼は顔を赤くしてこちらが心配になるくらい汗をかいて震える声で一気に説明した。
わかりましたかと聞いたその顔があまりにも困っていたので、なんとなくわかりましたと答えるとよかった!と言って鼻をくしゃくしゃにして笑った
なんだかよくわからないけれど、その顔を見た瞬間に先生のことが好きになってしまった
そうしてわたしはN先生の授業を受けるためだけに数学を取った
しばらく2対1で先生の授業を受けているうちに、先生が地元の国立大学の1年生で、1浪して今年入学したこと、物理の話をするときだけ目を合わせてくれることを知った
学校にも家にも居場所のなかった中学3年生のわたしにとって、週1回の授業は唯一の救いで、近いのか遠いのかもわからない物理の話をする先生の隣だけが居心地の良い場所だった
先生を介して塾に友達もできて、どんどん塾にいる時間が増えた
いつのまにか3年生の夏は終わって、先生はだんだん物理の話をするとき以外も目を合わせてくれるようになった。
秋頃から寝る前にひどく手首を引っ掻いてしまう癖がついて、わたしの手首はずっとぐちゃぐちゃだった
家にいたくなくて泣きながら塾に行った時も、先生は赤い目にもぐちゃぐちゃの手首にも触れずに超ひも理論の話をしていた
帰り際に先生は突然、どうしても辛い時は××のバス停においで、とちょっとふざけたように言った
それからはどんなに家で嫌なことがあってもあのバス停に行けば先生に会えると言い聞かせて、勝手に救われたような気がしていた
夏とおんなじ速さで秋も終わって夏のはじめよりずっと先生のこと好きだった
寒くなってきてどんどん受験勉強は厳しくなった
どうしても数学ができないわたしに先生はフェルマーの話をした
人のロマンが詰まった話!安い言葉だが感動して数学が好きになった。定理や公式は無機質じゃないんだという感動をいまだに覚えているし、当時先生に教えてもらった、飲茶さんの「哲学的ななにか、あと数学とか」という本は今でも本棚にある
かえってきた本と袋はそのあと4年間捨てられなかった。
そうしてなんとか志望校に合格した16歳の誕生日、先生は本当に嬉しそうにしおりをくれた
クローバーの刺繍がついたしおりだった
ずっとナラタージュに挟んでおいたのにいつのまにかなくなった。多分捨てたんだろうと思う
しかし受験期を抜け、もうすぐ塾をやめるという時にも誰も触れない手首は相変わらずぐちゃくちゃのままだった
やめる1週間くらい前のまだ寒いとき、先生は突然、かとうさんリストカットしてるんですか?と聞いた
どうしてですかとしか答えられなかったけど、ちらりと目に入った先生の顔は化学方程式の日よりずっとこわばっていて、きっとこの人はいま相当な力を振り絞って聞いてくれたんだろうと思った
だから理由は言えなかったけど、もうこの人にこんな顔をさせるのはやめようと決めた
結局連絡先も聞けず、当然ながら好きだとも言えずに塾をやめてわたしは高校生になった
当時、さよなら大好きだったよという曲をよく聞いていたことを今も春になると思い出す
「ずっと遥か向こうきらめく世界に君がいた」というフレーズを繰り返していた
家で嫌なことがあるたびに先生のことを考えた
物理の話をする横顔にいつだって会いたかった
先生に会えない高校生活は1mmも楽しくなかったからずっと出せない手紙を書いた
先生お元気ですかと書き始めると、先生が隣にいるような気がした