たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

祖父は

祖父が亡くなった

急だった、というほど急な話でもなかったが心の準備ができるほど時間があったわけでもなかった

一昨年の秋から何度も救急搬送を繰り返して、徐々に薄れていく感じがあったので、朝に父から電話が来た時も今度は本当にいってしまうかもしれないという気持ちと、今回もなんとか超えてなんとなく来年のお正月も過ごせるのではないかという気持ちが半分ずつ一瞬でよぎっていった

すぐに支度をして家を出た

泣きながらコンタクトレンズを入れるのは難しいんだな

タクシーの中で、オリンピックまで生きたいと言ったなとか、祖父がこうやって息を止めようとしている今だっていろんな人は先に向かって進んでいるんだなとか考えた

千葉に向かうわたしだって、ビルの工事を進めている作業員だって、この先に向かっていた

いまこの瞬間が1番祖父に近くて、この先は遠ざかっていくだけなら全部止めてくれと思った

病院に着くとやっぱり祖父はもう遠くにいってしまった後だった

じじ、と呼んだって少し前みたいに目をこちらに向けることも、まなちゃん来てくれたよと言う祖母の声で目を覚ましてわたしを呼ぶこともなかった

最後まで耳は機能するらしいという話を思い出したけど、どうしたって涙が出て元気な声で祖父を呼ぶことはできなかった

頑張ったんだけど間に合わなかったね、でもよく頑張ったよねと祖母が言って、しばくして医者が来て死亡確認が終わった

 一緒に来てくれた松田と父と近くのファミリーレストランにいってご飯を食べた

当たり前だけど大切な人がいなくなってもお腹は空くし眠くもなるし、仕事もしなければいけないんだなとぼんやり思いながらハンバーグだかカレーだかを食べながら取引先や会社の人間に連絡をする父を見ていた

勝手なことだけど、そういう父をきっと祖父は誇りに思っていただろうと思うし、いつも通りに生活を送ることを望んでいるだろうとも思った

もう一度病院に戻って祖父を見て家に帰った

砂時計の残り少ない砂がざっと落ちるみたいな死に方だった

もうすこし、もうすこしと思っているうちに永遠なんじゃないかとも思ったけどやっぱり落ち切ってしまった

ご冥福なんて祈られてももう祖父には会えない

時間を戻したとしてもこれから先のわたしを祖父が見ることはそれこそ本当に未来永劫ない

もう一生会えないんだな

生きていて欲しかった

心の中で生き続けるとかそんなのなんの慰めにもならない

心の中の祖父なんて所詮わたしでしかない

人工栄養でも人工呼吸器でも生きていて欲しかった

オリンピックが見たかった

もう何も叶わない

祖父はもうこの世界にいないのだ

新年号も世界情勢もわたしのこれからも何も知らずに今日の午前中9時に祖父の世界は終わった

亡骸にもう祖父はいないだろうしなにか祈る気にもならない

明後日祖父は骨になるらしい

生まれ育った川に散骨してほしいと言っていたらしいのでそのまま全部流してやりたいと思った

さようならか

ただ今は悲しむ気持ちも死を惜しむ気持ちもなんにも湧かなくてただせめて1番近い祖父をとどめておくためだけに書いてどうしたいとかそんなのなくもちろんタイトルをどうしたらいいかとかもわからずに公開する