たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

アノコガカワイソウダカラカエッテ

アノコガカワイソウダカラカエッテ

あのこがかわいそうだからかえって

あの子がかわいそうだから帰って

かわいそうなあの子が弟で、帰って、というのはわたしへ向けた言葉だと理解するのに少しだけ時間がかかった

1月1日は父方の祖父母の家に行く。1月2日は千葉の母方の祖父母の家に行って、おせちを食べて、集合写真を撮る。

小さい頃からの当たり前で、成長してお正月を一緒に過ごしたい人が変わっても、絶対に続けてきた習慣だし、「きちんとお正月に顔を出す」というのは唯一祖父母に孝行できる機会でもあると思っている

だから今日も行った。結婚して苗字が変わっても(そもそも私は生まれた時から母方の姓でないし)父方の祖父が亡くなったおめでたくないお正月でも、家から2時間かかっても、あの子に、弟に、会いたくなくても、着いてきてもらっても夫が疲れてしまうから1人でも、1月2日は千葉に行くのだ。どうしても。

あけましておめでとうございますと叔母や祖父母に挨拶をし、母に誕生日のお祝いを渡して、おせちをつつきながら従姉妹と他愛もない話をし、友人と遊んでいた弟が顔を出して集合写真を撮ったから、もう帰ろうと思っていた。

そうしたら、アノコガカワイソウダカラカエッテと母は言った

そういう何気ない言い方が私をずたぼろにしたんだとか、関係性をどうにかしたかったけどやっぱりもう無理だとか、取り留めのない感情が頭の奥の方を掠めた気がしたけど全部飲み込んで、もう帰るから大丈夫だと言って自分でも驚くほどの素早さと無感情さでそれぞれにお年賀を渡して家を出た

母は安心したような顔を隠さないまま、ごめんねと言って門を開けたので、もうお正月に来るのはやめるね、とできるだけ柔らかい声で返して門を閉めた。

実際にはひどい吐き気がしていたので、たぶん硬い声だったのだろう、あの子が私を生かしているからとか、ちゃんと自立してから(夫と)2人で来てと言って道路まで来たので、聞き流して頷いて、広い道を曲がり角まで振り返らないで歩いて、そのまま駅までずっと、本当にずっと、たばこをすって何も考えずに来た

最寄駅のホームに着いてやっと、泣き出してしまおうかとか、夫の勤務先に電話をかけて、お願いだから早くかえってきてと言おうかとか考えたけど、ちょうど電車が来たので、滑り込んで本を広げて、ひたすら下を向いて座って歩いて、座って、気づいたら家に着いていた

いつも通りに出迎えてくれた猫を撫でて、胃が空になるまで吐いてから(ちゃんと用法容量を守って)抗うつ剤を飲んで、それで、誰か読むかも知らないブログを書いている

こんなことを書いている場合ではない。たぶん母に伝えるべきことが沢山ある。それができないのなら、1番に夫に縋り付いて助けてと言うべきだとわかっている

でもそれもさっきと同じように頭の奥の方を掠めるだけで、ただひたすらにわたしは今日のことを書きとめておくことしかできないのだ

母は私のためには生きない、アノコの為に生きていることがわかった

それから、来年からわたしは集合写真にうつらないこともわかった。もういい。

そういえば集合写真、私は右端に立った。昔は父が立ったところだ。今も千葉の家に飾られている写真の中で、所在なげに父は立っている

今年現像される写真のわたしはたぶん、数年前の父と同じ顔をして立っているだろう

もういる必要はない

わかった、大丈夫