たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

わたしが死んでから1年経った

わたしが死んでから1年経った。

10年先のことを考えて生きている今を、21歳で死んだわたしは信じてくれるか。

夫がいる。友達がいる。猫が元気でいる。

祖父がアルツハイマーになった。十数科目試験を受けた。実習に行った。死ぬしいいやと思って払わなかったカード代を毎月返す。

やっぱり辛いことの方がちょっとだけ多い。

毎日薬は飲んでいるけど、ある程度健康でいる

オーバードーズも、リストカットもやめた。

SMも、真夜中のセックスも、女の喘ぎ声ばかり聞こえるバイトもない。

死ぬという希望がないまま生きるのはつらい。泣きたくなるくらいに

絶対死ねばよかったと思ったのも一度や二度ではない。

それでも、休みの日にまで9:00から21:00まで働いて、何に使ったのかも忘れたカード代を律儀に払うことを、試験前には赤シートまで使って勉強をして、全教科で90点以上取れたなんて、誰が想像しただろうか。信じてくれただろうか。

たぶん、誰も信じていなかった、存在しなかった、1年後の話だ。

それでもわたしはいきているのだ。

夫や友人のためではない。猫がいるからでもない。当然、死ぬなといった誰かのためでもない。

わたしはわたしのために生きている。

1年後も、2年後も、100年後も、21歳で死んだ自分のためにいきていくのだ。

いつか会えたら、あの子が知らない世界の話をしよう

ずっと楽しかったと言う。生きるほうを選んでよかったと言う

明日は夫と花火をしよう

去年死んだあの子のために