松田に捧ぐ
赤ちゃんにミルクを飲ませていたら松田のことを思った
松田が今もこのブログを読んでいるかは知らないが、仮に読んでいたとしてものこのこ自分から「新しいブログ教えてよ」とかはDMしてくるわけがないのでこちらに書こうと思う
このブログを昔から読んでいる人はご存知だろうが松田というのはわたしの元夫である
20歳の時に結婚して22歳になる直前に離婚した
もしもあのまま結婚生活が続いていたとしたら、松田とこうして子供を持って赤ちゃんを育てていたのかもしれないなとふいに思った
もしも少しずつ何かがずれていて、少しだけ何かを頑張れていたなら、そういう未来があったのだろうか
わたしはこれまでせんせいとのことがあまりにも大切すぎて、せんせいに生かされてきたとばかり書いてきたが、松田がいたから生きていけたときもたくさんあった。付き合い始めた19歳から22歳、今よりずっと若くて脆いときだった。
なぜ今さらこんなことを書いているのかというと、わたしの人生にいてくれたことに対する感謝を果たして結婚している間も、離婚した後も心から伝えられたことがあっただろうかと思ったからだ
本当に今更すぎる後悔だし、こういう自己満足が結婚生活の破綻を呼んだに違いないのだが、なぜか急に、松田がわたしとの結婚生活を思い出す時があったとして、結局俺はまなの生きる理由じゃなかったんだなとか思ったら嫌だなと思ったのだ
はっきり言っておくが、松田は、出会った日からずっとわたしの生きる理由だった
もちろんせんせいが生きる理由だったことに間違いはないのだが、生きる理由などいくつあってもよいのだから別にいいだろう
はじめて会った日になぜかおっぱいを見せたことも、スカイツリーに行ったことも、阿佐ヶ谷での生活も、横浜で終わった時のことも全部わたしにとって大切な思い出だ
そしてわたしが子供を作りたいと思ったのは松田と今の夫とだけである
子供を作りたいと思えたのは、たぶんわたしが子供になれたからだと思う
わたしはおそらく幼少期の愛情の足りなさから父性や母性を交際相手などに求める節があって、それでこの人の前なら安心して子供に戻れると確信してはじめて、子供が欲しいと思えたのだろうと今はわかる。
今の夫は歳も離れているし、いろんな経験を経て現在に至っているので、わたしのわがままも幼児退行のような現象もなんとなく受け入れてくれているが、ほとんど歳も変わらず、一緒に大人になろうと言って結婚した松田にとってわたしのわがままや幼児退行は重荷だっただろうなと思う
ただ本当に松田の前では子供に戻れて、素直に愛されることができて、わたしはしあわせだった
一昨年の夏に精神を病んだ時、なぜ松田を頼ったのかその時は自分でもわからなかったが、たぶんそういう理由だったんだろうと思う
全部松田からしたら迷惑な話である
悪いなと思う反面、でも同じだけお互い迷惑をかけて嫌な思いをさせた結婚生活だったよねとも思う
そしてそれでも楽しかったよねという話は、一昨年した話だ
こうして夜中に赤ちゃんの寝息を聞きながら呑気にブログなんかを書いていられる今があるのも、松田と暮らした日々があってのことだと思う
松田との暮らしがなかったら、そもそもわたしはODばっかりしてそのうち吐瀉物でも喉に詰まらせて死んでいたかもしれないし、今の夫とも初婚、あるいは人と長く暮らすという経験がなければ、うまくやれていなかったことがたくさんある
そういう意味で松田という人の存在は大きなものだった
だからこの日々をくれてありがとうと改めて思う
それから、あったかもしれない日についても思いを馳せてみる
わたしが看護師になって、松田はそのまま飲食店で働いて、3年目くらいになったら子供を作れただろうか。たぶん松田は毎回妊婦健診についてきてくれただろうと思う。赤ちゃんがうまれたときはきっと泣く。仕事が忙しくてなかなか赤ちゃんの面倒は見られないだろうけど、それでも夜遅く帰ってきたら1番に赤ちゃんの顔を見てうれしそうにすると思う。そういう日々があったかもしれない。
いくつかに分岐するパラレルワールドみたいなところでそれは起こっているかもしれないけど、きっと松田にそれを言ってもあんたとの結婚生活はもうこりごりだよとか言われるだろう
金輪際会わない人に書くみたいなクソブログだが、今後も松田が働く飲食店にたまに行くだろうと思う
わたしは愛憎を抜きにして松田の作るごはんのファンでもあるのだ
実は夫も松田のご飯のファンである。
あまりに好きすぎて、この間は義両親も送り込んでいた。
あんなにハンサムでおいしいものを作る人と結婚してたのによくうちの息子と結婚しようと思ってくれたなどと言っていて、非常に面白かった
松田からしたらこんなクソブログを書かれることも、自分の働く飲食店に元嫁が定期的に現れることも、元嫁のみならず元嫁の現夫までもが現れるようになったことも、全部迷惑な話かもしれないが、それに関してはわたしのような魔物と一度でも一生添い遂げようと思った自分を恨んで欲しい
そんなわけでこのブログは元夫へのキショレターをもって終わりにする
またどこかでね!
お知らせ
長年続けてきたこのクソブログであるが、ある事情から引っ越しをすることにした
詳しくは書けないのだが、新しいブログをここで公開することはしない
わたしが把握している範囲で読んでくださっている方にはTwitterのDMなどで個別にURLを送らせていただいたが、Twitterをしていない人やあるいはわたしがアカウントを知らない人に関してはいくらこちらが新しいブログも知ってほしいなと思ったところで知らせる術がないため記事に残しておく
かとうまなのTwitterアカウントhttps://x.com/idwn__?s=21&t=QqTWAlsmlJ7WK33SvEawRQ
にDMをいただければ基本的に新しいブログURLをお送りするので本当にもしこのクソブログの続きを読みたいという奇人がいるならご連絡をお待ちしている
しにたかった
死にたかった。久しぶりにいろんなことを思い出していた
母親に愛されていたと思えなくて死にたかった。一生一緒だと思った人を裏切って死にたかった。せんせいと一緒にいられなくて死にたかった。好きだった人全員とセックスして死にたかった。出会い系で会った男に「思ったより肉付きがいいね」と言われて死にたかった。仕事中笑えなくなって死にたかった。幸せすぎて死にたかった。彼氏に振られて死にたかった。大好きだった元夫を憎んでしまって死にたかった。誰からも一生愛されない気がして死にたかった。夫に怒り狂って死にたかった。
いろんなときにいろんな理由で死にたかった。
絶対に死んでやると思ったことも何度もある。泣きながら遺書を書いて思い直した夜も昼も朝もある。
毎日毎日死にたいと思っていた間に、たとえば患者さんが「かとうさんがいてくれてよかった」と言ってくれたとか、生きてせんせいに会えたとか、元夫と再会して話ができたとか、そういう少しの生きていけそうな出来事があって、それで今回こどもができて、わたしはたぶんもう死にたくない
死にたくなくなったわたしをつまらなくなったと言う人もいるだろうが、それでもわたしはもう死にたくない
わたしが死んだら、だれがこのお腹の人にあなたが動いているだけで幸せだったと言えるだろうか、よくしゃっくりをしていたんだと話せるだろうか、と思う
はじめは弱々しかった胎動がどんどん力強くなって、そのたびに心強かったこと、毎日生きていてくれてありがとうと話しかけたこと、そういうことをわたしは生きて、何年でもお腹にいた人に話したいと思う
わたしのように死にたい子供にならないように、もしくは何かのきっかけで死にたくなったときにも思い出して生きていけるように、ずっと話したい
だからこれから先もわたしは死なない
ずっとずっと生きていくし、これまでよりずっと強くなる
元は死にたさを原動力としていたこのブログなのできっとその時とはおもしろさも違うだろうし、動物園的な要素は少なくなるかもしれないが、まあメンヘラがひいひい言いながら子育てをしていくコンテンツとして生あたたかい目で見守っていただけたら幸いである
そして散々死にたいと言っていたくせに、今は出産で命を落とすことを最も恐れているためもちろん遺書ブログも書いている
乞うご期待
またね
しんたろうさん
お昼にエスニック料理が食べたいと夫が言うので調べていたらしんたろうさんのことを思い出した
万が一にもこれを読んだらしんたろうさんはお前のオナニーに俺を使うなよとか言って怒りそうだが、まあそう言った苦情がきた場合にはそれはそれで元気でよかったと思って記事を消すまでである
しんたろうというのはわたしの聞いていた名前だが、おそらく本名でも通名でもないので書いても構わないだろう
ティンダーとブログを経由して19歳の時に知り合ったので、もう8年ほど前のことになるがそういえばはじめて会ったのは新宿のタイ料理屋だった
君のブログを読んだらセックスじゃなく話をしてみたいと思ってと言って指定されたのが歌舞伎町にあるそのお店で、その当時嫌いなものを言うのが得意でなかったわたしはエスニック全般が苦手だと言い出せずやや憂鬱な気持ちで向かったのだった
しんたろうさんはその時やや問題を抱えていて、はじめて会う人とするにしては少し重いが確かに出会い系で会ったヤリマンにするにはちょうどいいとも言える話をした
それから7年間友達だったけど、しんたろうさんははじめからずっと少し変な人だった
というかはじめから変だったけど時間が経つにつれより変になっていった気がする
もちろん(と言ってはなんだけど)精神疾患を抱えていたのだが、見た目も会うたびに太ったり痩せたりしていたし、すごく元気な時とそうでない時があった
関西の生まれ育ちだと言っていたが、関西弁はおろか一度も関西のイントネーションで話すところすら見たことがなかった
とにかく変な人だった
はじめは近所に住んでいたこともあり家のそばの川で取り留めのない話をすることが多かったが、わたしが引っ越したりしんたろうさんの環境が変わったりいろんなことがあって、会うのはまた新宿になったりわたしの住むまちの公園になったりした
しかしどこにいてもしんたろうさんにはなぜかいつもだいたい30分以内には待ち合わせ場所に現れる特技があった
カラオケによく行った。しんたろうさんの歌うサーカスナイトとエイリアンズが好きだった
スピッツの歌詞について話すことがたまにあってその時間も好きだった
数ヶ月会わない時もあったし、週に何度か会うこともあった
わたしが離婚を決めた時から少しずつ距離が近すぎたり遠すぎたりするような気がして、そこからなにかいろんなことがずれてしまったように思うが、しんたろうさんがどう思っていたかはいまだによくわからない
近すぎたり遠すぎたりしながらもずっと思い出したようにご飯に行ったりしていて、特にわたしが看護師になったときはこれまでで1番喜んでくれて、わたしよりもお酒を飲んでいた
決定的に間違えたなというのは去年のことだった
オナクラで働き始めたという話を世間話程度にしたつもりだったのだが、しんたろうさんが来てしまった
もちろんオナクラで働くくらいなのでメンタルはややおかしくて、なんだがすごく友人ではなく性的に使われたような気になってしまったのだった
そのあと割とすぐ今の夫と結婚することになって、それでもうしんたろうさんと会うのはやめようと思った
先ほども書いたように、近すぎたり遠すぎたりする関係は不安定で怖かったし、このまま会い続けていてもお互いにいい影響を及ぼすとは思えなかった
メモ帳にメンヘラみたいなことをたくさん書いてスクリーンショットを送って、そのままブロックした
7年間を失うにしてはあっけなかったなと思う
少しずついろんなことがずれてたらよかったのになと思わないことはない
まだ友達でいたかったけど、しんたろうさんはわたしにとって生きていくための友達ではなくて、だから生きていこうと思った去年がちょうど別れどきだったんだろうなとも思う
俺が死んでもあなたは知ることがないだろうとしんたろうさんはよく言った
わたしの名前を呼ぶことは一度もなかった
だからしんたろうさんはわたしの名前を覚えていないかもしれない
わたしが死んだ時は見つけてくださいねと何回か言ったけど、たぶん見つけてくれないだろうと思うから、お互い様だ
もう会わなくなって、本当にお互いが死んでいるのか生きているのかもわからなくなったけど、元気でいてほしいなと思う
元気で生きている可能性も、もうとっくに死んでいる可能性も同じくらいあるけど、何も知らないうちは会わなくても元気でいてほしい大切な友達だと綺麗事のように思う
なぜか年末なのに謎の男の話を書いてしまった
謎の男ついでに書いてみるが、underislandさんは元気だろうか。こうして名指しで誰かに元気か尋ねたことはないのだが、SNSも知らないし、コメントもしばらく見ていないし、ちょうど寒い時期になって手袋をつけたので書いてみた。まだ見ているのだったらまたたまにコメントをくれたりすると嬉しい。
ちなみに読んでいるかな?と気になっている人は他にもいるのだが、だいたいSNSを知っていたり、会おうと思えば会えたりするので他の人に関してはあまり心配はしていない
今年は振り返る余地もなくどう考えてもほとんど毎月死にたかったという感じなので1年の振り返りは省略しようと思う
ではみなさま良いお年を
筆折らず
あと2ヶ月もしないうちに赤ちゃんがうまれようとしている
すごいことだ
11月はお腹が痛くて病院に行ったら切迫早産と言われて怖い思いをしたりしたが、しばらく薬を飲んでいたら正常な状態に戻った。
もう胎児は1500gを超えたらしい。1kg以上も自分でないものが自分の中に存在しているなんて変な気持ちだ。最近よく動くし、お腹の上からも動いているのがわかるほどになった。
6月くらいから鬱が本格的になってそのあとしばらくして起き上がったり、ご飯を食べたりという機能が徐々に戻って、さらに時間が経って秋くらいには少しずつ掃除や洗濯をしたりすることができるようになったが、長い文章を読んだり書いたりする能力はいまのところ全く戻っていない
基本的にそうとう頑張らないと本も読めないし、文を書くことはもっとできなくて少しつらい
でも今までは想像する力がありすぎて、正直言ってそのままでは夫といるのは無理だったんだろうなと思う
しかも妊娠中や出産後は余計思考する力自体が落ちるらしいし、仕方ないことだなとも思う
そのかわりこれは赤ちゃんにとって危ないのでは?とかこうしたら快適なのでは?みたいな生活環境に対する本能みたいなものは非常に敏感になっていておもしろいなという感じだ
まあ文章をもう書けないなと思っても、自分の書くものがつまらなくなったなと思ってもそれでもこのブログだけは書き続ける
とりあえず、わたしは元気で赤ちゃんも元気だ
それだけ伝えたい人が数人いて、たぶんこのブログを読んでいる。だからまた書く。かすかすでぼろぼろの文章でもまた書く。
またね
わたしもその犬がすきです
たまにせんせいのTwitterをみる
おんなじ犬フォローしてるんだよなーとか思う
今日久しぶりにTwitterを見たら去年から2件ほどあったツイートが消えていた
わたしに関することだから消したのか何かがあったからなのかはわからないが、悲しかった
悲しかったというのも、わたしは前に書いた通り夫と結婚した際せんせいに関する全てを捨てたり削除したりしており(実は電話番号だけは控えているが)もう記憶の中にしかせんせいからもらった言葉も何もかもないからだ
ツイートだけはアカウントが消されない限り見られると油断していたがこのざまである
まあせんせいだって生きている人間なのでもちろんわたしとのこと全部を捨てようと思ったり忘れようと思ったり、あるいは誰かに知られたくないから消そうと思ったりと色々な可能性があると思うので仕方ないのだが見られなくなったのはやっぱり少し悲しいなと思う
元気でいるといいなと思っている、ずっと
1番に好きだとか1番に大事だとかそういうのじゃなくなって余計に大事だったなと思うし、好きだったなと思う
わたしはいま何よりもお腹の赤ちゃんのことが大切で、せんせいにも大切な人がいて、それはお互いと生きていくことを選ばなかったからあることで、だからせんせいもあの時別れたことを後悔していないことを知っているし、わたしもあの時せんせいと別れたことを後悔していない
だから今日発見したことも悲しいながら仕方のないことだと思って生きていくようにしたい
ちなみについでのようにカスこと元彼氏のアカウントを1年ぶりくらいに見たのだが、どう見ても生後4〜6ヶ月は経っていそうな赤ちゃんが写っていて驚愕した。お前は去年の今頃わたしとセックスしていたよな????????
きみのみかた
最近何をしているかというとひたすら鬱々としている
よく考えたらお腹の中にひとつ命を抱えながらほかのことまで心配する余裕などあるわけがないにも関わらず、夫の精神的な不具合によりまた生活が破綻するかもしれないなどという大きな不安があり、そんなの心配が仕事みたいなわたしにとってとても耐えられる状況ではないのだった
しかしこの人となら子育てをしていけるだろうと思ったことに変わりはなく、わたしはやはり夫としか子供は持てなかっただろうと思う
そんな心配をよそにお腹の中の人はすくすくと成長しており、もう700gほどになっていると思う
22週0日を迎えた時はようやくこれで人なのかと涙したほどである。(22週0日から流産ではなく死産という扱いになる)
わたしの通っているクリニックでは毎回3Dエコーを見せてくれるのだが、顔はめちゃくちゃ夫に似ている。世間一般的にみてすごく整った顔というわけではないため、どうか夫には似ないでほしいとはじめは思っていたが、どこからどう見てもかわいいなとエコー写真を見ながら気持ちの悪い笑みを浮かべるわたしが今ここにいる。
何があっても大丈夫だからねと話しかけたりする。パパもママもずっと一生あなたの味方でいるからね、いて欲しい限りずっと一緒だからね、それらはわたしが父と母に言って欲しかったことなんだと思う
してもらえなくて悲しかったこともしてもらってよかったことも全部してあげたいと思う
自分より大切ななにかが今ここにいることは、わたしを少しだけ強くする。
あと3ヶ月と少しでお腹から出てくる人、わたしと夫の何よりも大切な人、こういうふうに思ったこともずっとずっとずっと忘れずにいたいと思う
どうでもいいけどもうすでに12kg太った。ご飯うま。
またね