たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

ホルモンダンス

生理前である。

なに、もう妊娠活動ブログになった?!?!?という感じだろうが、わたしの人生の全てはここに残されるのである

ところで妊活の正式名称は妊娠活動なのだろうか。それはもうセックスなのではないか。

さて皆様もうとっくの昔にお忘れだろうがわたしの生理前はひどい。生理が始まって以来月経前は泣いたり喚いたりと大変な目にあっている。

大半の男性には理解する余地もないだろうが、ホルモンに起因する精神の不安定さや食欲といったものは全く人間のコントロールの範疇外なのだ

この時期に不安定になるなーとか食欲増すんだよなーとかそういうことはわかるものの、それに対してなにかできるかと言えば何もできないというのが答えである

もちろんこの世の中には生理前の食欲や不安定さなど余裕でコントールできるわよという女神のような方もいらっしゃるだろうが、わたしの知る限り女というのは生理に踊らされる生き物である(主語デカ)

そもそもまず生理前の食欲をコントールしようとすれば不安定さに食欲を我慢しなければいけないという余計な要素まで加わり苛立ちは募り、反対に食べることで精神を少しでも安定させようとするとこんなに食べてしまった…と落ち込み泣く羽目になるのであった

こうしてたらたらと書くと全くホルモンに踊らされて愚かな人間だとしか思えないのだが、こちらは本気で毎回このようなことに向き合っているのである

また、これこそ個人差はあることだが、わたしはそういった全てに襲われて大体生理の1週間前に1日、家の布団に篭って泣くことしかできない日が訪れる

こういうことが毎月毎月続いて精神が消耗するのでピルを飲んでいたわけなのだが、妊娠したいからには飲み続けることができず、ここ数ヶ月はまたしても泣きながら過ごす1日があった

ここまで長々と生理前の症状について書き連ねたが、さらに生理がくることで妊娠していなかったという残念さに襲われることを加えればそれはもう1ヶ月分の失望と絶望に腹痛をトッピングした濃厚ポタージュが出来上がることがお分かりいただけただろうか。

そんなわけで生理前である。

結婚してからは毎回、えっこの下腹部のチクチク感は着床痛なのでは?とか、少しでもピンク色の血が出れば着床出血か?!思っているがまだ一度たりとも着床したことはなさそうだ。

なお今回はチクチク感がいつもより顕著にあり、お腹は痛いしついでに乳首も異常に痛むし、また突然謎の肛門痛が出現したことで(詳しくは知恵袋などで肛門 痛み 妊娠などど検索して欲しい)また淡い期待を期待してしまっているが、あまり過剰な期待をして落ち込むのはわたしも夫も辛いので2人でもじゅうぶん楽しいんだよと呪文のように唱えている

夫に結婚指輪をはめてもらった日、これから楽しく暮らしましょうねと言い合ったことも、それを絶対に叶う約束みたいに思ったことももちろん覚えている。今その約束は果たされていると思うし、これからもそれだけを守るためにいる

こんなに楽しい日がくることを信じられなかった頃からすれば、子供なんて望みすぎなのかもしれないとも思ったりするが、望みすぎてバチが当たるなんてないんだと夫が笑うから少しだけ祈ってみたりする

そう、もう生理間近の今となっては神頼みのほかできることはないのだ。頼む!!!!

いよいよ神とか言い出したところで今回は終わるが、とくに信仰しているものなどないので頼まれたところで神様も誰だよという感じだろうと思う

まあなんでもいいから叶えて欲しい所存である(最悪)

ではまたね

 

孕め孕め孕めコラ〜

せんせいに伝えたいことなど一つもなくなった今ブログを更新する必要などあるかと思っていたがあった

まずせんせいに伝えたいことが一つもなくなったというのは嘘である。今でも好きだとかそういうことを伝える必要はなくなったけど、わたしが今も楽しく生きていること、せんせいが信じてくれたわたしの人生を生きていることはいつだって伝わって欲しいと思う

それに、幸せになったからブログを書けなくなるほどわたしと文章の関係は脆弱ではないのだった

最近のわたしが何をしているかというと何もしていない。強いていうなら専業主婦をしている。何もしていないと言いつつそういえば1月に好きな芸人のyoutubeに出た。マイナスなコメントにばかり目がいってしまってめちゃくちゃ心が苦しくなったのでもう二度とこういったメディアに出るのはやめようと思った。ちなみにその少し後に表参道で声をかけられてファッション系の動画にも出たがこちらも夫に心無いコメントがきていて嫌な気持ちになったのでもうやめようと思った。

まあそんなわけでたまたま表に出る機会が二度あったが、それ以外は特に何もなく穏やかな日々を過ごしている

夫はとにかく部屋の片付けができないので床や机に放置されたものたちを拾い掃除機をかけ、着ては脱ぎ戻すのが面倒になって洗濯かごに放り込む洗濯物を洗い干して、たまにお昼ご飯を作って夜ご飯を作る。

そんな日々でやはりと書いては語弊があるが我々が望むのは子供である

子供が欲しいとはっきり思う。決して家で主婦をしているのが暇だからではない

わたしも夫も幼少期にあまり良い記憶がないから子供が欲しいと思うまでには時間がかかった。結婚前からいてもいいねという感じではあったものの、まあいなくても、検査や不妊治療はしなくても、くらいの気持ちでいた。

しかし最近になって19歳頃の馬鹿なまなちゃんがかかったクラミジア及び腹膜炎の影響で腹部の一部が癒着している可能性があるらしいということがわかった。ここ1年くらい低容量ピルを飲んで生理を止めていたのだが、結婚してピルをやめた途端右腹部が恐ろしく痛むようになり受診した結果がそのようなことだったという話だ。また、クラミジアが悪化した結果卵管も塞がっている可能性があるとも言っていた。腹膜炎になった際卵管が塞がる可能性があるとは聞いていたが癒着のリスクまであるとは驚きである。恐るべし性病。

衝撃を受けたのはその受診の際に婦人科の医師から生理が重くて辛いのを我慢しているのに何か原因があって妊娠の可能性が低いのは愚かではないかというようなことを言われたことである。まさしく!と思った。実は年末にハワイで挙式を挙げるというとてもまなちゃんらしくない素晴らしいイベントを控えているので少なくともそれまでは妊娠しなくてもいいだろうという曖昧な感じでいたのだが、あと9ヶ月もこんなに痛くて辛い目に遭うなどとんでもないことだと思った。

しかしここで考えなければならなかったのは、本当に検査をしてまで子供が欲しいのかという点である。夫もわたしも実子でなくても、なんなら子供がいなくても、と思っていたがどうだろうか。わたしは自分のかかったしょうもない性病のおかげで夫が子供を持てないのは嫌だなと思うし、無精子症のように治療がものすごく困難で結果も出づらいというわけでもないなら(卵管が塞がっているみたいなことであれば卵管を開通させる方法があったり体外受精なども検討できるという意味合いで)検査も治療もしたいなと思った。また、他の理由があって実子を持つのが難しいとなった場合や、それこそ夫の生殖能力に問題があった場合などに、ではどこまで治療するのかとか養子を取りたいかとかそういうことを考える時間は長い方がいいから検査は早めにした方が良いのではないかと考えた

元々検査も治療もしなくていいということで合意していたのに申し訳ないなという気持ちで恐る恐る夫に話すと、そうかもしれないと言って納得していた。そもそもの話をすれば生理が重いとかPMSが辛いみたいなことに対してピルを飲めばいいだけの話なので、子供を持つためにピルもやめて検査までしたいかということも併せて確認したのだが、まなちゃんと子供を持ちたいよと言っていて非常に安心した。(念のため書いておくがPMSや生理が辛いならピルを飲めばいいというのはわたしに限った話である。この世には色々事情があってピルを飲めない人がいる)(配慮)

そういうわけで来月は婦人科で不妊因子がないかなどの検査をすることになった

原因があれば来年以降治療もすることになるだろうと思う

ちなみにこの間でたyoutubeではこんな女は子供持つなみたいなコメントが多少寄せられており、ぐうと思ったが、このクソブログをいまだにしぶとく読んでいる読者の皆様においてはもう特に何の意見もないだろうと思うので堂々と子供が欲しいと今後も書き続けることにする

万が一にも見たい人がいた場合のことを考えて一応書いておくがわたしが出たのはラランドニシダのうんこチャンネルというyoutubeである。夫婦で出た方はわたしも夫も全然気に入っていない服の時だったので書かない。

はあ、久しぶりにブログを更新したと思ったら本当にまなちゃんかよインスタでハッシュタグ妊活をつけてやれよみたいな内容で申し訳ない気持ちになったがまあこれもまなちゃんである

ではまたね

そういえばなぜかコメントに返信できなくなっているのだが、アンダーアイランドさん、わたしは今日も元気です。ツインテールにできないくらいの長さに髪を切りましたという感じだし、🐡さんはわたしもどうしているだろうとずっと気になっていたのでコメントをもらえて本当に嬉しかった。見た目や学歴コンプレックスは少しは解消されたのだろうか。

 

 

 

 

すきでしただいすきでしたあなたははつこい

お元気ですか。わたしは元気です

さよならを言うためではなくさよならをしたあとにこれを書きます

せんせい助けてって思いながら金縛りにあって寝るのがもう長くわたしの日常でした

起きている時も何回も何回もせんせい助けてって思ってその度にもう物理的に助けてはもらえないことを思い出して悲しかった

そういう日常がいつのまにか終わっていたことに気づいたのは今日のお昼のことでした。風邪をひいてひどい咳が出て寝て起きて、わたしの方を見て笑っている夫の顔に安心したとき、わたしのこれまでの日常は終わったんだなと思いました。これまでも何度も終わっていたんだと思いますが、今日はなぜかはっきりと終わったんだなとわかりました

夫はわたしがせんせいのものを捨ててからも全部忘れてほしいと繰り返しました。1番忘れるはずがないと思っていたことから人は忘れていくんですね。たくさんいた男の人の思い出の中から、わたしがいちばん初めに忘れたのはせんせいを思うことでした。かとうさんってまじめに呼ぶとき、まなちゃんってちょっとふざけた感じに呼ぶとき、甘ったるいそれがどういうふうに響いたのかもう思い出すことができません

これがせんせいの望んだわたしのしあわせなんでしょうか。もしそうだとして、わたしがせんせいのことを忘れて、せんせい以外の人をせんせいより愛して暮らすことはせんせいのしあわせですか。

謝るとかそういうのは違うこと知っているけど、来世も結婚できなくてごめんなさい。それもまた知っていると思いますが、わたしは不器用なので2人の人を好きでいることはできなくて、だから夫に来世もあげることにしました

本当にさようならなんだと思います。物を捨てた海よりずっと、最後に別れた両国の交差点よりずっとさようならだから、もう生きているあいだも死んだあとも来世も会えない

だいすきでした。せんせいのことがすきでした。ずっとずっと元気でいてください。生きている間も死んだあとも来世でもずっと元気でいてください。ずっとずっと笑っていてください。ずっとすきでした。さよならでした

 

クローバーの花言葉

これからせんせいを捨てる

せんせいにまつわる全てを海に捨てに行く

夫はわたしを非常に束縛しているのだが、束縛では飽き足らず誰かのために切ったあとがある腕が許せないと上からなぞるようにかみそりでわたしの傷を切ったりもする。最近していたアルバイトもやめて欲しいと言われていまはずっと夫のそばにいる。しかしそんなことをしている間にも人の精神までは縛れないことに気づいたらしく、まなちゃんの全部を上書きしたいと言ってきた

本当に全部なのと何度も聞いたが、何度聞いても全部だと言うのでわたしも覚悟を決めるかと思った

すでに写真もスクリーンショットも全て消して引越しの荷物の中からせんせいに関するものだけまとめた

せんせいのことが今でもすき、口癖になったようなことを言ってみる

夫のことは好きだ。愛しているとも思う

いつか僕以外のことを僕より愛すること、わたしのしあわせはそういうことだとせんせいが言った

わたしは夫を好きになるまでずっと普通みたいに人を愛せると思っていた。せんせいをすきになったように純度高く、なんの混じり気もなく人を愛せる日がいつか来ると思っていた

最後までせんせいを愛していなかったのは、わたしがただそういう純粋な愛し方のできる人間でないからだとわかった。

結局精神的であれ肉体的であれ痛みを伴わない愛を受け入れることも、あんなに優しく強く人を大切にすることができる人に憎しみと似た愛し方をしたいはずもなかった。

ただわたしにはまっとうで純粋な愛はできなかった。まっとうに純粋に人を愛することができるとしたらそれはおそらく子供に対してだけだろうと思う

夫の愛し方は一般的に間違っている。そんなことは知っている。それでもわたしには1番ぴったりした愛なのだと思う。だからわたしもできるだけ愛したい。可能な限り強く、深く、方法が間違っていてもそうしたい。

ただもう死んでもせんせいに会えない。会えないことに決めた。会いたくないのではなく会うことは選べないと思う

世界で一番大事なひとだった。何よりも大事だった。今までずっとせんせいがいたから生きてこられた。今でもせんせいのことがすき。何もかもがなくなってもわたしだけはずっとせんせいのことがすき。そう思っていた。なによりもすきだった。せんせいのことが今でもすきだった。

せんせいのことは1人で捨てに行く。唯一もらった四葉のクローバーのついた栞をすてる。四葉のクローバーの花言葉を今初めて知ってなんだかわたしは消えてしまいたい。せんせいはこれを知っていたんだろうか。はじめて貸した本も最後に撮ったぶれぶれの写真も全部捨てる。もう積み重ねることはない思い出を捨ててわたしはせんせいに会うことはないこれからを生きていく

せんせいさようなら。いつも震えて聞こえる声も笑ったとき鼻がくしゃくしゃになる顔も体格の割にごつごつした手の感触も全部少しずつ忘れていくんだと思う。捨てたことを後悔する日もくる。でもさようならだ。わたしはなによりもずっとせんせいのことがすきだった。

 

 

 

遺書のねむる海

遺書捨てた

15年ほどいつ死んでもいいと思って書いてきたのだが、ついに捨てる時が来たと思った

わたしは死なないと決めたわけではなく、死ぬわけにはいかないとわかったのだった

夫を残しては死ねぬとわかった。まなちゃんがいなくなったら僕には生きていく意味はないと言い切った人をおいて死ぬことを決めるわけにはいかない。そしてその生きていく意味がないという言葉は決して恋愛などの甘さを含んだものではなく、本当の切実さで出来上がっていることをわたしは辛いくらい知っている。だから夫が生きている限り死ぬことはない。

1月1日になった街を歩いて海に遺書を捨てた。びりびりちぎって捨てた。死なないまなちゃんなどつまらないと、死にたくないまなちゃんに用はないと言う人もいるかもしれない。あるいはもう味方じゃなくなったみたいに思う人もいるかもしれない。でもわたしはそういう人たちを切り捨ててでも生きていたい人と会った。しかし見方を変えれば、人のために死ぬのをやめるなど愚かで単純でいかにもまなちゃんらしいのでどうか読者の皆様は落胆しないでほしいと思う部分もあるのだが、こればかりは人の感情なので見切りをつけても仕方ない

ただわたしはいつだって生きていくほうを選んできただけで、また、これからも生きていく方を選ぶだけなのだ。

フィギュアを集めるようになった。これまでの生活においてどうせ死んだ後に親や友人が困るのだからと思って生活に必要ないものを買おうと思っていなかった。だからはじめて夫にフィギュアをねだったとき、わたしはもう誰かを残して少なくとも意図的に死ぬことはないのだとわかって嬉しくて泣きそうだった。死なない方を選んでいたら本当に死なない人になった。

わたしはこれからくだらない。心配しなくていいという夫に甘えて仕事もろくにせずに家で洗濯物を干してフィギュアをながめたり、猫を撫でたり、夫の選んでくれた丈の短いワンピースを着て犬を飼ったり人並みに子供を欲しがったりするだろう。死にたいと泣く夜も、首を吊って迎える朝ももう来ない。

生きて迎えるはずなんてなかった2024年を生きて、自分の足で歩いている。食べるはずなかったお寿司を食べて、いられないと覚悟した猫たちと過ごしている。

もう遺書書かない。死ぬときはずっとずっと先でご褒美みたいに待っている。死んだ後1/3のわたしは夫と一緒にいようと思う。そこが地獄でも天国でもそうじゃない場所でも、来世まではいようと思う。これはきっと愛だ。まだ夫には教えてあげないけど。これからを生きていく。楽しく。長く。遺書は海の底でずっと先を待ってねむる。おやすみさよなら。

またね

 

 

 

ヤク中は夢を見る

ユニバーサルスタジオに行ってきた

1日で2回泣いた。ハリウッドドリームという絶叫製造機が怖すぎて1回

まずハリウッドドリームというのはユニバーサルスタジオの入り口付近であたかも子供も大歓迎みたいなカラフルな見た目で待ち構えているジェットコースターなのだが、激怖い。ディズニーランドになれていると一度大きく落ちれば終わりだろみたいなふうに思いがちなのだが、めちゃくちゃ落ちるしめちゃくちゃ高い。45秒ほどずっと落ち続けていた気がする。僕を信じてとかほざく夫に恨み節を吐きながらわたしは魂とともに落ちた。終わったあとに泣いた。これは泣いた〜みたいな話ではなく本当に涙を流したという話だ。非常に怖かった。ユニバーサルスタジオに行く予定のある方はぜひ気をつけてほしい。

それから夜に人が増えたハリーポッターエリアを練り歩きながら泣いた。こんなに毎日が楽しくて不安がなかったことなんてないから泣いた

楽しかった時は毎回言うようにしている、楽しいよありがとうという話をしながら泣いていた

前に元夫とスーパーにいたとき行きていてよかったと泣いたことがあったが、その時ともまた違う感情だったように思う。当時のわたしにはあまり人の感情を考えるとかそれまでの人生を知りたいという気持ちがなく、ただ自分が生きていてよかったと烏滸がましくも思っただけだったのだが、昨日は夫が生きていてくれてよかったとか、でも今、夫がわたしの隣にいることは彼の悲しさとか辛さの上にあって心の底からよかったとは思い切れない、みたいな複雑な感情も混じっていたように思う

ただどんなことが過去にあろうとも生きていくという意思をもって進む以上、それも含めてこれからを極力楽しく生きていくほかないのだと思っているから、今を楽しいと言って夫が隣にいてくれることに感謝して泣いたのだった

もちろんわたしのこれまでに毎日毎日が楽しくて辛いこともなくて不安もないみたいな日が本当になかったからというのもあるから、結局のところわたしが生きていてよかったとも思っているのだが、とにかくよかった。毎日楽しくて嬉しいことばかりでよかった。夫が目に見えて前よりたくさん笑ってくれることが嬉しい。これからは嬉しくて泣くことばかりだったらいい。しかしまあ二度とハリウッドドリームなどと舐めた名前の乗り物には乗らないように細心の注意を払って生活せねばと改めて認識した

なにがハリウッドでなにがドリームだったのか、薬物中毒者の夢みたいな乗り物だった。ここまで書いて思い出したが、そういえばあの浮遊感は処方の咳止め薬をODしたときの感覚と似ていた。設計者は確実に薬物中毒者であると確信して終わる。と思いきやここまで書いてまた気づいたが、ヤク中の作ったジェットコースターことハリウッドドリームの感覚を含めてなんならユニバーサルスタジオに行ったことも全て20歳くらいのわたしがOD中にみている幻覚だったらどうしよう、夫は存在するのだろうか、そもそもわたしは存在するのか!混乱の中、我思うゆえに我ありとデカルトが召喚され全てを解決してくれたのでした。めでたしめでたし。

しょうもなエンドになってしまった、またね

 

 

 

 

 

 

こんにゃくたまごちくわぶ

結婚した。

わたしの人生はいつだって急速に進んでいて、世界は遅い。でもどこに行ったらいいかわからなくて、泣きながら走っていたらおんなじ風に行き先に困っている人にぶつかった。どこに行くかわかんないけど一緒に行こうよ!って誘ったら来てくれた。そういう感じに結婚した。

好きだからとか愛しているからとかそういうわけではないけど、わたしと彼だけが納得できる理由があれば良いと思う。

みずから死ぬことを選ぶときはお互いを殺す覚悟で死のうと約束した。死なないことよりずっと信用できると思った。 

これまでの25年間を生き抜いてきた。これからは生きたいと思う。生き抜くのではなく生きたい。人生をしたい。昨日はおでんを作って今日の朝に食べた。冬瓜があんなに大きくて煮物以外の使い道がなくて味が染みる野菜だということもはじめて知った。生きてるなと思う。来週はユニバーサルスタジオに、来月は樹海で2月は沖縄、3月はニューヨークに行く。一見楽しいことばかりにみえる日常にも楽しくないことは紛れ込んでいるだろう。

こどもが欲しいと話す。こどもを作ろうとかどういうふうに育てようとかいう過程ですでに自分を育てた環境に直面することになり、泣いたりわめいたりしているが、これからもそういうことはたくさんあるだろうなと思う。それでも一緒にやろうと言ってくれる人だ。これからを一緒にやりきる。想像できないような悲しいこととか、うれしいこととか数えきれないほどたくさんあって、そのたびにわたしはえんえん泣くだろうし、その人も大きな体で小さく泣くと思う。それでもやりきる。

泣いたり笑ったりするけど死んじゃうときは楽しかったって思います。飾れる婚姻届けに書いた。絶対に長生きして楽しかったって言ってもらおうと思う。わたしは生きててよかったってもう思いたくない。生きててよかったって思わないくらい当たり前に生きたいし、死にたかったことも鮮明には思い出せないほど遠くにいきたい。そういうふうに傲慢に生きたい。

今日の夜は本番のおでん食べる。結婚した人はこんにゃく好きで、彼の大事な人はたまご、わたしはちくわぶがいい。これから大事な誰かが増えて入れたい具もたくさんになったらいい。キモポエマーみたいなことをながながと書いたが、とにかくわたしはこれから生きていくということだ。一人じゃなくいきていく。たのしく。

またね

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