たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

今日はうにですお寿司です

結論から述べると流産だった

今日大きな病院に行ってきたのだが、この週数で下がるはずのないhcgが611まで下がっており妊娠継続の可能性がかなり低く、来週までに出血する可能性は高いだろうとのことだった

家に帰るまでぼんやりして、家に帰ってからもぼんやりしてまあこういうことはあるよなと他人事のように思った。一緒に診察で話を聞いた夫も同じような感じの反応だった

ショックかと言われればショックではあるものの、正直に書くと一つの命が宿ったという感覚を完全に得る前だったから大きなショックを防げたという感じがする。こう思うのも防衛機制の一つかもしれないが、今はそう思う

夫と今日の夜はお寿司に行こうと決めてまたぼんやりした。こういう時わたしはいつも、可能性を与えてそれを奪うことが最も精神的に追い詰めることのできる拷問だという話を思い出す。いつまでもぼんやりはしていられないし、とりあえず妊娠できることがわかって今回はよかったという結論に至った。

そうしていたら真っ赤な血が出てこれは本当にもうだめだなという感じがした

また流産が確定して落ち着いたらもともと予定していた不妊の検査に行こうと話して、お昼は夫の好きなキャラクターのグッズを入手すべくマクドナルドにハッピーセットを買いに行った。なかなか欲しかったものが出なくて、5つ買ってようやく当たった。

はずれと言える残りの4つは隣でひとつだけ開封していた子連れの女性にあげようと夫が言ったからあげた。夫はいつでも優しくて、こんなに優しい人の子供がほしいと思っているのだからまたいつか来てくれるに違いないと自分の邪悪さは棚に置いて思った。

家に帰ってマクドナルドをちまちまと食べていると大きめの血の塊みたいなものが出てきて、これが恐らく胎児の元みたいなものだったんだろうと思った。まじまじと観察するとそれは1cmほどのレバーみたいなもので、こんなに小さい塊が今後赤ん坊になっていく予定だったのかとか、これほどのものにわたしの精神は惑わされていたのかとかしばらく考えた

まあまた待ってるから来てよね、と思う

今回は色々あってだめだったのかもしれないけど、わたしもだめだめながらいい母親になれるように頑張るし、夫は優しくて可愛くていい人だから、必ずしあわせにするから、また来てほしい。ぜひ。

こういうことがあっても日常は続いていくし、だからハッピーセットを5個も買うし今日の夜もお寿司を食べるんだと思う

わたしには夫がいる。それがどんなに心強いか、孤独でないということがどれほど人を救うのか今はよくわかる

たくさん寝て少し太ったぶん運動もして、またいつでも来てねという健康的な気持ちでいることにする

3月末からの2週間ほど、嬉しい事実に泣いたことはあっても胎嚢が確認できないとか、流産の可能性とかいうことで悲しくて泣くことはなかったなと思い出す。しあわせで良い時間だった。これから思い出す時はそういうふうに思う

蛇足かもしれないが、妊娠したという話を書いてから星を送ってくれた方や、以前からブログを読んでくれている人、またわたし自身が把握していないところにもこのブログを読んでくださっている方はたくさんいて、少なからず「うーん、そうか〜」みたいな気持ちにさせてしまったことを申し訳なく思う。しかしながらちまちま書いている通りわたしは今この生活に夫がいてくれるだけで本当に何も望みたくないほど幸せだという事実は変わりないということだけ書き残しておく。

ではまたね