たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

過去依存症

元彼氏もお母さんも元婚約者も大好きだった

もう二度と未来をつくってくれないものに依存し続けて苦しかった

だからこそ、もう一度手に入れなければならないと思っていたけど違った

わたしは彼らといた「未来のあった過去」に依存していただけだったのだ

過去依存症である。

しかしわたしは同時に未来依存症でもあった

自殺するであろう未来。ずっと依存しているうちに、でも死ねばいいから、という思考は簡単にぬぐい切れないほどに染み付いてしまった

過去依存症は怖い。人をさみしく、苦しく辛くさせる

しかし未来依存症が良いのかと言われればそうでもない。希望的観測かもしれないし、仮にそうでなかったとしても急にそうなれる可能性が失われた時に絶望してしまう。

まあ人それぞれ依存している過去も未来もあるのではないかと思うけれども、やっぱり何にしろ依存は良くないですよ(端的)

過去はもう取り戻せないし、仮に取り戻せたとしてもその時の自分にも誰かにも同じ状況にも戻れない。未来はいつだって変わるし、暗さに足を突っ込み続けていては急に明るくなった時には白すぎて何も見えなくなってしまうし、逆も然りであると思う

ではいつに依存したらいいのか

いやん勘違いしないでそもそも依存はダメよ……////

オウマイという感じではあるがまあ適当に今日に猛烈に依存して生きたらいいんじゃないですかァ?

いや急に適当じゃん、、、、まあでも割としっかり考察したのだがもう今時安いロックバンドでも言わねえよという感じなのだけれどもやっぱり今日を生きるしかないと思うんですよ

だって過去も未来も今は生きられないんだもん!昨日だって過去で明日だって未来なのだ

じゃあいつなら生きられるの?今でしょだよォ〜〜〜!!何かと古すぎる気はするけれどもまあ今なんですよ結局のところ。

やはり林修はすげえよ。え、着地点そこなの?修のまわし者なの?そんなのいいとして今に依存してみようぜエブリワン!現在依存症だよ現在依存症。まあ今日思いついたので現在に依存していい事あるか知らないんですけどねー!誰かわかったら教えてよろちくび。