たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

21歳おめでとうきみが死なない未来の日

20歳のかとうまなちゃんへ

こんばんは。さようなら。

21歳のわたしから数分前までのまなちゃんに手紙を書きます

一言で言うとお前めちゃくちゃ頑張ったな〜〜!!!!!えら〜〜い!!!!!!という話です(終)(終わらない)

20歳、よく頑張ったよ

誕生日から1ヶ月、できたばかりの彼氏を容赦なく振りまたビッチを再開し、4月には看護学校に入学してハプニングバーでバイトもはじめたね

6月くらいにバカみたいないのちがけの恋が始まって、やけくそになってセックスとオーバードーズばっかりして、もう死のうと決めていた

毎日毎日薬を飲んで手首まで切って、遺書ばかり書いていたら急に松田さんと出会ってなんやかんや付き合うことになって結婚した

嘘みたいな話だね

21歳になれたのはいま目の前で眠そうにしているサキコや、お父さん、松田さん、それからヘキサゴンやハプニングバーの先輩のおかげです。でも一番に頑張ったのはまなちゃん自身だとわたしは思います

死にたい朝に何度も首を吊ったけど生きてきたね

生きていてくれてありがとう

もう大丈夫だよ

21歳の誕生日おめでとう

生き延びられて本当に良かった。

これからは楽しいことばっかり起きるように、20歳のまなちゃんが頑張って本当に良かったといつだって思うように、頑張ります

さようなら20歳のまなちゃん

21歳になったばかりのかとうまなより

 

ブログを読んでいてくれている方、友人のみなさま

21歳になれました(本当の誕生日です)

勝手に死にたくて勝手に頑張ったのはわたしだけど、一行のラインやコメントに励まされて1年間生きてこられました。ありがとうございました。いろんなことを諦めた1年間でもあったけど、同時に今までよりずっと人の優しさに触れた1年間でもありました。(まあこういうところで綺麗事を挟むのがわたしの悪い癖なんだけれども)

つまらなくなってもただの日常になってもブログは続けようと思っていますのでこれからもよろしくお願いします。

あ、ちなみに誕生日を次の日にまたいだところが年齢をまたぐ時的なのよく聞くんだけどいまさらそういう感覚ないので、お前が21歳になるのは26日になる瞬間だからね?とかいう意見は受け付けませんありがとう

松田になりました

理由はとくにない

強いて言うなら好きだから結婚した

1月30日午前7時、わたしと酔った松田はお風呂にぶくぶく浸かっていた

いつも通り、結婚しようよと言うと、いいよ今日しようと言うので、いけるの?いけるよ!とそれもまたいつも通り繰り返していたのだが、なんとなくどんどん真実味のある空気感になっていって、最終的に酔い覚めたという松田に本当にいいの?と聞かれたのでいいよ!と答えた

先にシャワーを浴びて出るとお風呂からうわあ!結婚するのお!イェー!えー!と叫び声が聞こえたが無視して黙々と婚姻届に必要な書類を調べ、やっと出てきて友達に保証人を頼む松田を横目にわたしも先輩に電話をかけた

おめでとういつするの?デキ婚?と聞く寝ぼけた出勤前の先輩に、違いますデキ婚じゃないです!そして今日です!今日印鑑ください!とゴネて予約を取り付け電話を切ると松田が泣いていた

あまりにぽろぽろ泣くのでなんだか笑ってしまった

準備をして区役所に行って婚姻届をもらって、それぞれの地元に帰って戸籍謄本を取って、それから先輩と松田の友人それぞれにサインをもらいに行った

松田曰くずっと先輩は目の前で店員が食器を落とした時の客の顔をしていたらしいが(どういう顔)松田の友人も同じような顔をしていた

それから渋谷に行って自分たちで叩いて作れという乱暴な指輪を買って、受付時間を10分過ぎた区役所で死んだ目をした職員の夜間受付を済ませ、無事婚姻届を提出した

そういうわけで松田になりました

厳密にいうと明日区役所からの電話が来なければ松田になっているのだけど

結婚が決まったら意外とごねごねごねごねプレ花嫁とかやるんだろうなと思っていたけど全く予想していないタイミングで突然の入籍をしてしまった

悩んで誰かに相談する隙すらなかった

どうせずっと一緒にいると思ったから結婚した

だから絶対これからしあわせになるんだ!

死ななくてよかったなあ

 

ところで下のやつ去年の春書いたブログなんだけど、もう松田じゃん、A君松田じゃん

今日ご飯どうする? - たとえば明日とか

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最後とか

葬式が終わった

前日は3時に布団に入って祖父のことを考えた

そういえば最後に会話したのはじゃあまたね、ありがとうだったと思い出して少しだけ泣いた

またねになれなくてごめんね何にもありがとうじゃないよ

10時に起きて喪服を着た

一生着たくなかった

望んでもいないのに真っ青ないい天気で腹が立った

祖父には信仰していた宗教もなく、希望もなかったのでお経を聞くこともなく火葬前に家で棺桶に花や手紙を入れた

みんな最後だからと手や頰に触れていたけど、いつかもっと近しい人も同じように冷たくなるのだと思い知るのが怖くてわたしは触れられなかった

わたしだけがこどもだった

やっぱり涙だけ勝手に出たけど棺の上蓋を閉めるときでさえ本当に最後なんだとは思えなくて悲しくはなれなかった

火葬される直前、最後だと言われて小さい子を抱き上げて祖父の顔を見せたけどわたしはもう見られなかった

最後になってしまうなんて嫌だった

2時間弱かかるという火葬の間、祖父はどこにいるのだろうと考えた

いつもお正月に集まる親族の、彼氏がどうとか子供の高校がどうとかそういういつもの会話を、祖父は聞いていたんだろうか

天国も地獄も幽霊も生きている人のためだけにあって死んだ人はもうなにも見えないしもうどこにも存在していないのだろうか

骨は当然、祖父の面影なんて残していなかった

白くて脆くてこんなものがあの弱った体を支えていたのかと思った

帰りは綺麗な夕焼けだった

痴呆気味の祖母は何度も、おとうさんがこんなに綺麗な夕焼け見せてくれたんだねと繰り返した

その度に何度もそうだねと答えてどんどん暗くなっていく空を見ていた

天国も地獄もないかもしれないけど、祖父がどこかでむかし死んだ犬と散歩でもしていたらいい

棺桶に忍ばすことができなかった手紙の代わりに今は書く

悲しいとかさみしいとかまだ思えない

 

祖父は

祖父が亡くなった

急だった、というほど急な話でもなかったが心の準備ができるほど時間があったわけでもなかった

一昨年の秋から何度も救急搬送を繰り返して、徐々に薄れていく感じがあったので、朝に父から電話が来た時も今度は本当にいってしまうかもしれないという気持ちと、今回もなんとか超えてなんとなく来年のお正月も過ごせるのではないかという気持ちが半分ずつ一瞬でよぎっていった

すぐに支度をして家を出た

泣きながらコンタクトレンズを入れるのは難しいんだな

タクシーの中で、オリンピックまで生きたいと言ったなとか、祖父がこうやって息を止めようとしている今だっていろんな人は先に向かって進んでいるんだなとか考えた

千葉に向かうわたしだって、ビルの工事を進めている作業員だって、この先に向かっていた

いまこの瞬間が1番祖父に近くて、この先は遠ざかっていくだけなら全部止めてくれと思った

病院に着くとやっぱり祖父はもう遠くにいってしまった後だった

じじ、と呼んだって少し前みたいに目をこちらに向けることも、まなちゃん来てくれたよと言う祖母の声で目を覚ましてわたしを呼ぶこともなかった

最後まで耳は機能するらしいという話を思い出したけど、どうしたって涙が出て元気な声で祖父を呼ぶことはできなかった

頑張ったんだけど間に合わなかったね、でもよく頑張ったよねと祖母が言って、しばくして医者が来て死亡確認が終わった

 一緒に来てくれた松田と父と近くのファミリーレストランにいってご飯を食べた

当たり前だけど大切な人がいなくなってもお腹は空くし眠くもなるし、仕事もしなければいけないんだなとぼんやり思いながらハンバーグだかカレーだかを食べながら取引先や会社の人間に連絡をする父を見ていた

勝手なことだけど、そういう父をきっと祖父は誇りに思っていただろうと思うし、いつも通りに生活を送ることを望んでいるだろうとも思った

もう一度病院に戻って祖父を見て家に帰った

砂時計の残り少ない砂がざっと落ちるみたいな死に方だった

もうすこし、もうすこしと思っているうちに永遠なんじゃないかとも思ったけどやっぱり落ち切ってしまった

ご冥福なんて祈られてももう祖父には会えない

時間を戻したとしてもこれから先のわたしを祖父が見ることはそれこそ本当に未来永劫ない

もう一生会えないんだな

生きていて欲しかった

心の中で生き続けるとかそんなのなんの慰めにもならない

心の中の祖父なんて所詮わたしでしかない

人工栄養でも人工呼吸器でも生きていて欲しかった

オリンピックが見たかった

もう何も叶わない

祖父はもうこの世界にいないのだ

新年号も世界情勢もわたしのこれからも何も知らずに今日の午前中9時に祖父の世界は終わった

亡骸にもう祖父はいないだろうしなにか祈る気にもならない

明後日祖父は骨になるらしい

生まれ育った川に散骨してほしいと言っていたらしいのでそのまま全部流してやりたいと思った

さようならか

ただ今は悲しむ気持ちも死を惜しむ気持ちもなんにも湧かなくてただせめて1番近い祖父をとどめておくためだけに書いてどうしたいとかそんなのなくもちろんタイトルをどうしたらいいかとかもわからずに公開する

 

呪いはとけた

わたしにはしあわせになる権利がある

知らなかった。本当に知らなかったのだ。

どうせこんなバカみたいな顔をした馬鹿な女はその辺で野垂れ死ぬのだろうと思っていた

十数年間でそういう呪いにかけられた

体も売ったし誰彼構わずセックスしてズタボロの恋ばっかりでもう死のうと思っていた

だってわたしは間違っていて、いらない人間だし

5年くらいかかったけどようやく呪いは解けたみたいだ

しあわせになってもいいんだと思う

寝ている松田さんを隣で見るとか、吐かずにご飯を食べておいしいなとだけ思えるとか、そういうのしあわせなんだな

どうせ失うだろうとかどうせ不幸になるだろうとかもう思わなくていいかなあ

母親のことあのババアって笑って言えて嬉しかった

笑ったのはちょっと嘘だったけどこれから本当に笑っていられる気がした

今度はちゃんと前だってわかるし、もう大丈夫かもしれない

だから今日も明日も泣かないで進むんだよまなちゃん

(前に違うブログに書いた呪いはとけないという話の続きみたいなやつだな)

 

2018年について

1月

激ヤバサイコパスの彼氏と別れるかもしれないというストレスから突発性難聴になる。

面接も受けられないため、歯学部受験を断念し、表参道の歯科医院で歯科助手として働くことを決めた。案の定1月25日に激ヤバサイコパス破局

2月

表参道の歯科助手という肩書きを振り回し、ティンダーでセックス無双をしていたところたった2週間ほどで王子様願望のあるヤバ小学校教諭に引っかかり、無事しあわせな誕生日を迎えたものの、新彼氏に日々えもいえぬ気持ち悪さを感じ始める。

3月

歯科医院の従業員全員がばっくれに近い形で辞職したため、わたしも脱兎のごとく辞職、看護学校を受験する。さらに友人、ヘキサゴンに新彼氏を会わせたものの超つまんないじゃんと言われ別れを決意。3月11日に破局。誕生日にくれたお高い指輪は金欠になったので売りさばいた。

新生活が始まる予感などそっちのけでまたもやセックス無双モードを開始する。

4月

看護学校に入学、ハプニングバーで働き始める。

エロ(バイト)セックス(プライベート)勉強エロ(バイト)セックス(プライベート)のリズムに疲れ確実にメンタルを蝕まれる。

5月

わたしと同じような具合に目が死んだ男と出会い、オーバードーズを覚える。アホのように毎日毎日薬を飲み続けぐらぐらしながらもなんとな生活を続けた

6月

ハプニングバーの上司の縄モデルを始めたらよくわからないうちに勝手に好きになってしまった。死にたい不毛な恋愛はじまり。さらには身の危険を感じ、目が死んだ男との縁を切ったら余計に死にたくなった。

7月

相変わらずオーバードーズしながら日々を過ごしていた。人生初の乱行パーティーに参加したものの、腹パンマンと大喧嘩をし泣きながらタクシーで帰宅、一生乱行パーティーなど行かないと誓う。好きな人にまなちゃんは手切ったりしちゃだめだよと言われ、ヤケクソになって人生で初めて手首を切る。ズタボロな夏休みのはじまり。

8月

もちろん学校の宿題など手もつけず毎日オーバードーズをする。エロエロ縄エロエロといった具合で毎日エロに囲まれていたらすっかり躁鬱になった。精神科に行こうと思い立ったものの、行く途中、到着後、帰宅時の三段階でゲロを吐き散らし、死のうと決めた。

9月

学校が始まったものの、行こうとするとゲロを吐くので休学することに決めた。好きな人に一度目の告白をするも振られる。遺書も書き終わりいよいよ死ぬな、という状態が続く。好きな人の誕生日当日、先輩が連れて行ってくれた飲食店で松田と出会う。

10月

好きな人に二度目と三度目の告白をし当然振られたので諦めて早く死のうと決め、相席屋やパブスタに入り浸りお酒やセックスにごぼごぼ溺れる。腹パンマンと仲直りし再会したものの殴られることなく終わる。つまらなかった。松田と一度目のご飯に行く。

11月

松田となんやかんやで付き合い始めたところ、メンタルが驚きの回復をみせた

毎日野菜や肉をうまうまと食べるただのしあわせ馬鹿になる。

歌舞伎町の飲み屋でふたつめのバイトを始めた。

12月

クリスマスやら松田の誕生日やら引越しの準備やらで何かと追い詰められている。

しかし毎日大変幸せである。完全に平和ボケしたつまらない女になり下がったという自覚はあるがそれでも構わないと思っている。

 

さて、1年間色々あったなあ〜〜

気づけばこのブログをはじめてもうすぐ1年経つ。はやいね!2018年、おおよそ死にたいとばかり思っていたしもはや闘鬱ブログになってしまったがとりあえず生きのびてよかった

来年は引っ越しや看護学校再開からはじまり、まあきっと色々あるだろうが2019年も生きて終わらせるぞ〜!がんばれまなちゃん!今年このブログを見つけて読んでくださった読者の皆様どうもありがとうございました。増えていく閲覧数も星も本当に嬉しかったです。来年もよろしくお願い致します

さよならふしあわせ

わたしはきっとつまらない

これからつまらない。

不幸だったから面白かったんだよ

これからもっと不幸になってくださいというDM、今でも思い出す。あの人は正しい。

不幸じゃないわたしはつまらない、書くこともつまらない。

つまらなくなったと言われるのは悔しいし悲しい、でもそれでいいじゃないかとも思う

世の中には人生を削るみたいに文を書く人がいる

(中村うさぎとか)

しかしまあああいうのは才能で、たぶんだいたいのひとは人生を削るみたいな文を書いていたら本当に大事なところまで削れていって死んでしまうのだと思う

それならわたしはつまらなくていいな

久しぶりに近所のノーセックスさんに会った時、べろべろの彼がお前はつまらなくなったけどそれでいいしそれがいいんだと言った

もちろんつまらなくなった自覚はあるので、しばらく刺さって苦しかったけどなんとなく収まるべきところに収まって、ずいぶん楽になった

不幸だったクソブログの読者様がどうかはわからないが、この世にはつまらなくなった、ただのしあわせな20歳のわたしやかとうまなを喜んでくれる人がいる。

だからもう安心してつまらなくてしあわせな20歳になろうと思う

これからも母親は夢に出るだろうし(生霊かよと思う)眠れずに迎える朝があるだろう

だけどまあきっとなんとかやるよ

こんなクソブログ続けてきてよかったな

死にそうだったとき、コメントや星に何度も励まされて生きてきた。ありがとう不幸好きなのか物好きなのか知らないけど読者様

今日も明日ももう泣かないで生きるんだ

さよならかわいそうで不幸せなまなちゃん

 

あ、やめるみたいなテンションで書いたけどやめないよつまらなくなっても文章を書くのは変わらずに好きだ