たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

東京都新宿区新小川町

2年間住んだ家を出た

飯田橋から徒歩10分の4畳半だった。バストイレは一緒で、シャワーを浴びるたびに水が溢れる部屋だった。

実家に帰りやすいことと、学校に通いやすいことを優先して選んだ。新建築法も満たしていないほど古かったし、1日10匹くらいゴキブリが出るので友人からの評判はとにかく悪かったけど好きだった。2つ下の階になぜかドアの前で新聞を読んでいるおじさんがいた。こんにちはと挨拶するとこんにちはと返してくれたのでたぶん悪い人ではなかった。たまにどこかの部屋から夜中に怒鳴り声が聞こえた。変な家だった。離婚したばかりだったわたしが住むにはちょうどいいなと思っていた。

はじめてうちに泊まりに来たのはたぶんカスだったと思う。神楽坂のことをたくさん教えてくれた。奥まったところにあるお店は高いこと、友達が働いているワインバー、学生の頃にバイトしていた焼き鳥屋さん、酔っ払って歩く坂の傾斜はいつも楽しかった

飯田橋周辺で飲んでいると何回も深夜に電話があってその度に公園だとか道端だとかそういうところにカスを迎えに行った。家に来たことが嬉しいのに、帰った後は安心してシーツを洗うことができた。

カスときちんと別れたのは去年の6月だったと思う。死にものぐるいで彼氏を探した。わたしには誰かいないとだめになると思った。1人相席屋にもパブスタにも行った。出会い系も駆使しまくった。しばらく彼氏ができなくてほとんど繋ぎのような感覚でわたしのことが好きだったアル中を久しぶりに呼び出して付き合うことにした。こんなことを書くとお前もずいぶんなご身分になられたんですねと思われるかもしれないが、決して思い上がっているわけではない。一時期のアル中の愛が重すぎただけだ。人に好かれて然るべき人間だとは当然思っていない。

とか言い訳してみたが、とにかくアル中は重度のアル中ではなくなっていたし(軽度である)、真っ当な会社員だし、要領は悪いしスマートじゃないけど優しいし、愚かだし、浮気はするし、プラマイでいうとぎりぎりプラなのか…….?というくらいなのだが、他にいい人ができたら別れようとは思わなくなっていた。相変わらず愚かか恋愛バカである。そしてまるで一度結婚していたことなどなかったかのように、25歳になる前に同棲してえなとか思ってようやく飯田橋から出る決意をしたわけである

そうしてわたしの一人暮らしは終わった。夜勤明けの朝、お母さんが来て、猫を新しい家に運んだ。そのあと引っ越し屋さんが来て、荷物を素早くまとめていって、2年と少しお世話になった部屋に頭を下げる余裕もほとんどなく引っ越しは終わった。新しい家は綺麗で快適で広くて、隣の人の声すら聞こえない。この生活ではただわたしと彼氏が喧嘩したり謝ったり笑ったりを繰り返している。もうすでに少しだけ飯田橋を懐かしく思う。国家試験の勉強をした部屋、疲れ切っていても登らなければ家につかない階段、カスのいたころ、バックれたおかしのまちおかのバイト、2年間のわたし

まあ実際はそんな感傷に浸っている暇はなく新しい日常がとにかくお金だけを奪い去っていくのだが、いまは毎日猫と彼氏がいることに感謝してせいぜい労働に励もうと思う

またね