たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

今も昔も明日も寝る

ニシノユキヒコの恋と冒険を読み返している

わたしはこのニシノユキヒコという男が好きだ

ストーリーはもちろんすばらしいのだけど、ニシノユキヒコにはどう考えても好きにならざるを得ない魅力があると思う

今日看護学校のころの友人がうちにきた。まなちゃんが安心できる家に住んでよかったと言った。わたしもそう思う。まなちゃんが安心できる家に住んでよかった。友人とは近所のもんじゃ焼きを食べて別れた。ゆっくりお風呂に入って流行っている韓国のドラマをみた。恋人がまだ帰らない家で、なにもかもが満たされていると思った

そうして夜のソファの中でわたしはまたニシノユキヒコのことを考える。厳密にいえば、ニシノユキヒコの向こう、好きだった人たちを考える。ニシノユキヒコは、好きだったけど過去になった人たちの象徴なのかもしれない。せんせいにはじまり、高校生のときほとんどはじめて付き合ったしんじくんはいま汚水処理の仕事につけたかなとか、腹パンマンは生きているのか、そうであればしあわせであってほしいとか、間違えて少しだけ好きになりかけた山田の日常のこととか、そういうくだらないし絶対に知ることはない他人の人生を思う

思って、その先に何があるわけでもない。連絡をすることはない。なにしろそのたった1回の連絡がこの安心を脅かすことをじゅうぶんすぎるほどわたしは知っている

ただ、何も怖くなくて、どこへでも行けて、死んでよかった頃が懐かしいと思う。好きだった人たちの思い出と濃密に関係したあの頃のわたしのことがたぶん人生で1番好きだ

誰かに下心を持たれることなくワンピースのまま丸くなって寝られたころ、わたしはしあわせだった。戻れる過去はなくて、ここにはただ別の世界みたいな安心があるだけなのだけど、それも同じくらい好きだ。この先どこかで思い出したらこれもたぶんしあわせなんだと思う

安心な寝床で寝る。壊れた生活をしてきた過去のわたしも、懐かしいあの頃のわたしも、もうすぐ明日のわたしも、今日は安心して寝る。

もうすぐニシノユキヒコの恋と冒険が終わる。