たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

初恋は息をする

7:53 大江戸線にて

今日しんでもいい

わたしは今日のあと12時間後にはせんせいに会っていて、それさえかなったなら死んでもいいと思う

10年間すきだった。6年間会っていなくても、せんせいが結婚してもすきだった。わたしのかみさまだった。10年間信仰していたものを失う場合、気が狂うのだからカウンセリングなどに行った方がよいのだろうかとか馬鹿なことを考える。わたしは今日、せんせいに会って、それで、本当にさようならをするつもりでいる。わたしの記憶の中のせんせいに、いままですきだった人に、何よりも大切で大事な人に、かみさまに。ただ15歳のわたしがせんせいに会えたことも、25歳のわたしがせんせいに会えることも、1番すきな人とは結婚できないことも、全部必然なんだと思う。だからこんな大きな喪失感と向き合うすべをわたしは知らないけれど、それでも何度もせんせいがたすけてくれた人生をいきていく。せんせいのことがすきだった。すきだった。今日さようならする。

17:05 大江戸線にて

仕事の間もずっと考えていたというのはまるまる嘘だが、暇なあいだずっとあと何時間で会うことになるのか、どんな顔をして、どんな話をするのか、そういうことばかり考えていた。仕事の間もずっとせんせいのことを考えられないのはもちろん看護師は命に関わる仕事であるからで、せんせいのことをずっとは考えられなくてもわたしは今の仕事がすきで、でもこの仕事につこうと思ったのはせんせいがちゃんと別れてくれたからというものあるんだよなとか取り留めのないことを思って泣きそうになったりもしていた。わたしは、本当にせんせいのことがすきだ。今日世界が終わってもいいと思うくらいすきだ。でも不倫とか略奪とか愚かなことは考えない、と改めて決意する。自分のために他の誰かを傷つけるのは結局最も自分を不幸にする行為だとわたしは知っているのだ。

このヤリマンはいつのまにそんな高尚なことを考えていたのかとお思いだろうが、なんというか家族の都合上そういうふうにずっと決めている。不倫はしない。略奪はされてもしてもしあわせにならないことを19歳のわたしとせんせいが身をもって知っているのでしない。だから、今日は本当に純粋に、この間夜中に電話をかけて申し訳なかったこととか、今仕事が楽しいこととか、一緒に拾った猫がすごく大きいこととか、そういうことを話してちゃんとさようならする。なるべく泣かないようにこれからシャワーを浴びる間に泣いておこうと思う。

18:34 バス停にて

あと1時間しないうちにせんせいの目にわたしがうつって今日はいつか終わってしまう

100万回の愛してるだとか、ずっと好きだったんだぜとか簡単な歌詞ばかり頭に思い浮かんでいく。わたしはいまきっとこの世で1番かわいくてこの世で1番消えそうな人間だと思う

せんせいがもし6年間の社会人経験を経てすごく変な髪型になっていたらどうしようとかくだらないことを考えた。どんなせんせいでもわたしはすきだ。学生の頃無理して買った、せんせいと同じメーカーの時計が左腕で動いている。せんせいに渡すかもしれない手紙と、せんせいに中学生の頃かした本と、それから唯一せんせいがわたしにくれた栞をバックの中に入れてぎゅっとしている。これまでも全部せんせいのおかげで生きてきたんだなと思う。これからも、そうして生きていけるんだなとも考える。せんせいと会って、せんせいをすきになって、せんせいをなくして、それでよかった。わたしのじんせいはそれでよかった。呪文みたいに思う。そういうことを言えたらいい。それだけでいい。本当は会えるはずなんてなかった人に会えるだけで、きっとこの日は神様みたいなものがくれたんだろう

19:08 大きな駅にて

約束の駅に着いた。冗談ではなく歩いている人が全員せんせいに見えてうまく前が向けない。なぜかこのタイミングでラッシュのパックを交換しに行った(5個空容器を集めると1つくれるのだ)

全然せんせいとは関係ないけど、今日交換したパックは使い切っても容器を捨てることなんてしないだろうなと思う

もうすぐ会える。あなたと話せる。あなたを離せる。という何かのキャッチコピーを思い出している。

23:50 自宅周辺の道路にて

わたしは泣いている。あなたが思うよりすきで愛してるとせんせいが言ったこと。一緒にいるだけが運命ではないと話したこと。わたしは好かれていい人間だと、誰かに乱雑に扱われていい人間ではないと、いつも、10年前からせんせいが教えてくれた。せんせいのしあわせを願えなかったことが悔しかった。ただせんせいとそのすきな人がずっと健康であればいいと思った。それだけがよかった。今日会えてよかったから、泣いた。会えないよりずっとつらかったけど、泣いた。しあわせを願えないかわりに、なにも不幸なんて起こらないといいと思った。せんせいの願うわたしのしあわせを手に入れることはできないから、泣いた。振り返ることはない後ろ姿を見えなくなるまで眺めて泣いて、それでまた泣いて、しあわせを願えるひとになろうと思った。月曜からまた仕事をして、週末には引っ越しもして、それでいきていこうと思う。いきていたらせんせいとまた会えるかもしれない。いつかしあわせを心から願えるかもしれない。そんなわけがない、という気持ちと、そんなこともありうるかもしれないという気持ちが半分ずつ合わさって笑っている。

0:24 あと7日で引っ越す自宅にて

シャワーを浴びたらメッセージが来ていてまた泣いた。今度はさっきより泣いた。わたしはせんせいを失う選択をした後悔を一生背負っていきていくだろう。別れるべきではなかった、今日たとえば性を使ってでも引き止めればよかったかもしれない、そういう後悔を。でも少なくとも今日の後悔は美しくて、かけがえのない後悔だ。絶対に。しあわせを願えないと書いたが、少し背伸びして無理にささやかなしあわせを願えたわたしだからこそできる後悔で、そこに間違いはないと断言できる。あなたに会えてよかった。せんせいはこれまでもこれからもずっとわたしの大事な人です。いつか書いた手紙の一文だったと思う。大事な人です。忘れない人です。これからもすきなひとです。だからさようならする。さようならをしても、1人でも、これからせんせいといきていける。それだけがわかってよかった。ずっとしあわせだった。

6:33 千葉へ向かう道路にて

昨日せんせいといた道を引き返すように歩いている。まあ、はっきり言って眠いね💢

一族の集まりがあるのでそのために早起きして千葉へ帰るところだ

こういうささいなことにもせんせいはいてくれると思っている。わたしが千葉へ帰れるようになったこと、母と和解したこと、そういうことの細部にせんせいはいる。ずっと前に書いたけど、さらに細部には結婚していた人もいると思う

いろんな偶然が重なって中学生のときせんせいに会えて、それから会わなくなって、昨日会って、それでよかった。運命という言葉はあまりに陳腐で信じていないが、いつかそういう偶然が重なってまた会えたらいいし、会えなくても構わない。わたしがこれからも信じているのは、ただせんせいのことをこれからもすきだという事実だけだ。わたしのかみさま。せんせい