たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

これはあいの日々

繁華街のかなり近くに住んでいる

以前蔵前に住んでいるという話を友人にした際、お前はじめじめした人間なのだからそんなじめじめしたところには住むな、もっと賑わっているまちに住め、そしてその近くで飲みホテル行く?と聞かれた時にううん、うちでしよ❤︎と言えという謎の理屈をかまされ、妙に納得したのでその通りにしているのだが、なかなか良い。引っ越して2ヶ月ほど、うちでしよ❤︎とはほとんど言っていないのだが電車を使わずに人と会えるというのと、翌日が仕事でなければ帰りの時間を気にせず遊びほうけられるのが良い。

帰り道はだいたいセックスのあとなのでポエマーモードを引きずりながらぼんやり歩いている

おとといセックスしたみたいなくだらない男のことを思い出している時もあるが、大抵せんせいのことを思い出して強くなったような気持ちで歩く。

せんせいがわたしではない誰かと生きていることに関してもうなんにも悲しいと思わない。もちろん一緒にいきたかったなと思わないことはないが、一緒に生きていたら一緒にしあわせになったり不幸になったりしなければならないわけで、そんなにつらいことはないと思う。そんなことがある人生において、自分の選択次第で相手が不幸になると思ったら何も選べなくなる気がするし、すきな人の人生を左右する覚悟はたぶんない。だからなるほどこれが2番目に好きな人と結婚しなさいということなのかと勝手に納得したりしてみたりする。

もうわたしのどんな選択もせんせいをしあわせにも不幸にもしなくて、それはわたしにとってしあわせなことで、何も怖くないまま人生を選んで進んでいける。最近は元気でいたいとすら思う。元気でないといつまでもこんな夢みたいにせんせいのことを思っていられないし、元気でいたい。それからせんせいにも、せんせいが大切に思う人たちにも、ずっと元気でいてほしい。

そんなぼんやりしたことばかり考えているが、最近、前に少しだけ書いた職場の人と2人でご飯に行く予定が立つなどやや新しめな風が吹きつつあり、恋愛童貞としては動揺を隠しきれず、は〜せんせいにはたのしく生きてほしいぜ〜〜と思った次の瞬間には職場…職場の人とご飯…どこからがセクハラ………?とか答えの出ないことを繰り返し考えたりし忙しい帰り道を過ごしている。こんなくだらない夜にもせんせいがいたらいいなと思うけど、ずっと嫌いになるよりこんなに好きでいられるほうでよかったなと思ったりもする。とにかくわたしはいま、最善の日々を送っているのだと思う。せんせいがいない最善の日々。へんなの

またね