たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

すきでしただいすきでしたあなたははつこい

お元気ですか。わたしは元気です

さよならを言うためではなくさよならをしたあとにこれを書きます

せんせい助けてって思いながら金縛りにあって寝るのがもう長くわたしの日常でした

起きている時も何回も何回もせんせい助けてって思ってその度にもう物理的に助けてはもらえないことを思い出して悲しかった

そういう日常がいつのまにか終わっていたことに気づいたのは今日のお昼のことでした。風邪をひいてひどい咳が出て寝て起きて、わたしの方を見て笑っている夫の顔に安心したとき、わたしのこれまでの日常は終わったんだなと思いました。これまでも何度も終わっていたんだと思いますが、今日はなぜかはっきりと終わったんだなとわかりました

夫はわたしがせんせいのものを捨ててからも全部忘れてほしいと繰り返しました。1番忘れるはずがないと思っていたことから人は忘れていくんですね。たくさんいた男の人の思い出の中から、わたしがいちばん初めに忘れたのはせんせいを思うことでした。かとうさんってまじめに呼ぶとき、まなちゃんってちょっとふざけた感じに呼ぶとき、甘ったるいそれがどういうふうに響いたのかもう思い出すことができません

これがせんせいの望んだわたしのしあわせなんでしょうか。もしそうだとして、わたしがせんせいのことを忘れて、せんせい以外の人をせんせいより愛して暮らすことはせんせいのしあわせですか。

謝るとかそういうのは違うこと知っているけど、来世も結婚できなくてごめんなさい。それもまた知っていると思いますが、わたしは不器用なので2人の人を好きでいることはできなくて、だから夫に来世もあげることにしました

本当にさようならなんだと思います。物を捨てた海よりずっと、最後に別れた両国の交差点よりずっとさようならだから、もう生きているあいだも死んだあとも来世も会えない

だいすきでした。せんせいのことがすきでした。ずっとずっと元気でいてください。生きている間も死んだあとも来世でもずっと元気でいてください。ずっとずっと笑っていてください。ずっとすきでした。さよならでした