たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

さようだからさようなら

8年間の「 」が終わった。

既婚者が今更何を言っているのだと思わずまあおおめに見てほしい

はじめに断っておくが、わたしは夫のことが心底好きだ。ひとかけらの疑いもないほど、好きだ。

それから前に付き合っていた人の事も、いつだって真剣に好きだった。
だから正確にこの終わりを表現する言葉はない。いつだって恋でもなければ愛でもなかったのだから

初恋というのが近しい表現になるのだろうか

わたしは出会ったその日からずっと、どんな世界にもそのひとを存在させてきた。それから、わたしとそのひとの世界は一瞬交わって、終わった。

一瞬と思ったそれは、いままでだったのか、夢みたいな数ヶ月のことなのかはわからない。でも確かにわたしにとっての世界が今日終わった。

もうこの先一生この世界にその人は存在しないだろうと思う。

3年ぶりの声はなんにも変わっていないように思ったし、電話先の顔だって想像することができた。でも違った。そのひとはわたしの今を知らない。生活を知っても、「もう恋愛感情ではなくどうしているか気になっていた」としても、彼が思い浮かべるわたしは永遠に15歳か、19歳のままだろう。

同じように、わたしも、もうそのひとの顔を鮮明に思い出すことができなくなった。今まで存在していたのは、やっぱり20歳か、24歳のそのひとだ。

生活を知って、連絡先を保存しても、生じゃない。

それからそのひとが存在する世界より大事なものがある。

わたしは随分都合の良い人間だ。わたしだけがそのひとのいない世界で生きたいと思っていた。そのひとがわたしのいない世界でいきていくことを、想像することすら避けて逃げてきた。

同じように、そのひとにも、わたしが存在する世界より大事なものがある。

だからもう一生交わることのない世界で、わたしもそのひともいきていくのだとわかった

当然と思われるその些細な発見は徹底的にわたしを打ちのめしたけど、たったひとつぶしか涙は出なかった

37分の電話のあと、夫とネットフリックスを見て、ご飯を食べて、お風呂にはいった。鏡にうつったわたしには涙のおもかげさえなかった。

もう世界には想像しうるそのひとの姿すらない。