たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

だからアイ ハブ ア ドリームって言うよ

ブログを読み返していた

普通の20歳だったわたしは24歳になった。もうすぐ25歳になる。

相変わらずADHDだけど、解離性同一性障害の診断はもう昔のものになった。残念ながら新たに双極性障害と診断された。

電子たばこに変えてからラッキーストライクはもう吸っていない。牛タンとチーズは今でも好きだ。

20歳のころは、オーバードーズをしてセックスをして毎日世界が終わるような恋愛をして、ずっと息ができなくて何につかまればいいのかもわからずに溺れているような毎日だった

4年間で1回結婚して1回離婚した。1回大きな失恋をしている間に2回身近な人が亡くなった。

変わらないのは猫だけだ。

オーバードーズをしてめちゃくちゃな時間に起きて、過食嘔吐をしていた日常はもう夢みたいで、たった4年間なのに本当に遥か遠くにあって、うまく思い出すことすらできない

看護学校に3年間きちんと通いなおして、1日もサボらなかった。国試までの2ヶ月は毎日200問の問題を解いた。たった1回だけど人生で何かと真剣に向き合った。小さい頃からの夢とか、そういう感じにとりたてなりたかったわけではないが看護師になった。

緩和ケア病棟に配属された。亡くなっていく人たちをたくさんみる。亡くなる人ではなく、亡くなっていく過程にある人たちをみる。わたしは生きていく側なんだと傲慢にも思う

人が亡くなったときはただ悲しくて、それだけだけど、そのあとで、こちらにいる人間はこの死亡時刻よりも先の時間を生きていける方を選ぶしかないんだなと毎回考える

明日死ぬ可能性はわたしにもあるが、平等ではない。誰かが亡くなったあとの日を生きているという感覚が深く染み込んでいくようになった

死が身近になった。死にたいと言っていたころとは違う、死ぬという現実をみるようになった。根本的には死にたいままだけど、今を死にたいとは思わなくなった。もちろん今を生きたいとも思ってはいない。

来年から精神科ではたらく。だから改めて、アイハブアドリームと言いたい。これまでのブログや、これからわたしが書くことで、まあこんなやつが生き延びているなら生きていけるかもなと思ってくれる人がたった1人でもいたらいい。死にたいひとの後押しはもうできないし、しないと思う。死にたいひとはきっとこんなクソブログがなくても死んでいける。

それから、本当に死にそうだった20歳のころ、正しいやり方でもそうでなくても一緒にいてくれた大人たち、そういう大人に、死にたい人間がいきていく未来をみられる大人に、わたしはなりたい。

無理かもしれないとも思う。ブログを読む人が少ないだろうし、そもそもわたし自身が文章を読まれるということに重きをおかなくなったというのもあるが(そしてこんな言い訳じみたことを書くようになったし)、でも20歳のわたしが無謀にも夢をもったように、いまのわたしも夢をもてる、またもってもいいんだと思う。

しにたい顔をした20歳のわたしがいつもこちらをみている。しにたい人間をいかしたいとかつまんないこと言わないでくれない?と言われる気もする。わたしがつまらなくなったことを1番知っているのは、あのときのかとうまなだ。でもまなちゃん、わたしはこれからも死にたいままいきたい。あの時の、20歳の、1人の女の子の夢を叶えるために、24歳のわたしの夢を叶えるために

まあブログは続けますがもうあの頃のかとうまなに戻ることはできないから期待しないでねという話なのかもしれないと書き終わって思う。

いまのわたしは、ちょっと死にたいただの看護師で、休みの日にはお母さんとサウナに行ったり、お父さんとご飯を食べたり、1人の人とデートしたりする、そういう本当に普通の24歳だ。普通になりたいと願ったこともある、あの頃の夢は、少しだけ叶っている。