たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

だからもう文章をやめたい

ヨルシカにバキバキの影響受けてるじゃん!!?!?!?!!?絶妙に違うしダサいし?!?!死にたい!!!!!!!死にたいですね!!!

いや、まあでもいいですよね、ヨルシカ、、、

あとYOASOBIも素敵ですよね、、、あの、、あれの、、思いつく限り眩しい明日を〜っていうところが、、、

黙れ!!!!

そう、もう文章を書きたくないのだ。はっきりやめたいと思う。厳密に言えばかとうまなであることをやめたい。ヤリマンだった人を、「エモい」文を書く人を、幸せになった途端面白くなくなった人を、不幸を望まれる人を、まなちゃんを

わたしがしばらくブログを更新していなかったのには3つ理由がある

簡単なことから書くと、1つ目は実習が忙しすぎてこのクソブログを更新する余裕がなかった

次に、離婚調停中である。いや突然?!という感じだが、全く突然ではない。不幸を望む皆様の思惑通りわたしは離婚するのである。しかし事はうまく進まず、紙切れ一枚では別れられなかったため調停になった。だから(?)余計なことを世界に公開するわけにはいかなかったのである。そういうわけで詳しい事情は今も書けない。ただ念のためこれだけは書いておくが不貞行為ではない。

最後の理由が先に書いた、かとうまなでいたくないという事である。わたしは離婚する。1人になる。でも不幸にはならない。ヤリマンにも戻らないし、Tinderもやらない。(正確にいうとTinderは迂闊に電話番号を他人に貸したがために垢バンされできないという方が正しい)(馬鹿)

もう文章を書く自分に価値を与えることはできないと思う。

一人暮らしの部屋は狭い。狭くてなまあたたかい。1人で寝て、1人で起きて、1人で朝ごはんを食べる。1人で実習の記録物を書く。テスト勉強をする。1人でネットフリックスを見て1人で笑う。1人でバナナを食べる。1日分の野菜ジュースを飲む。自分のためにアルバイトをして服を買う。化粧をする。友達と会う。やっぱりなまあたたかい部屋に帰る。これからも1人で生きていくために、なまあたたかい部屋を好きでいるために、わたしは死にたくない。

お母さんと会うようになってしばらく経つ。普通の母子がそうするように、話す。祖父母のアルツハイマーは徐々に進行している。悲しいけど、悲しいと認識できる。正しく泣くことができる。

人と結婚して、別れて、1人になった。結婚してもしていなくてもずっと1人だったなと思う。なんにも関係なかった。

来年3年生になって、次の年、看護師になる。それからたぶん、助産師になる。死にたいと思わなくなった。明日は当たり前にくると思う。普通みたいに思う。

会いたい人には自分で連絡できる。死にたいと文を書かなくても、不特定多数の誰かから心配されたり面白がったりされなくても、殴られなくても、乱行をしなくても、たくさんセックスをしなくても、リストカットオーバードーズもない世界でも、自分の価値がわかる。

この2年間は、かとうまなとわたしをゆっくりわけていったのだろう。たとえば明日とか死ぬかもしれなかった。死にたかったかもしれなかった。もう今みる明日に死にたいわたしはいない。もうたとえばの明日は来ない。