たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

引っ越したいだって今の家は

わたしはこの世で1番引越しを愛しているに違いないと思う

もし月収65万円(リアル)で子供も猫もおらず、考えるべき将来もなければ半年に一回引越しをするだろう

実際のところ、月収65万円でもないのにわたしは転がり込みを含めこの6年間で約8回家を変えている。つまり、平均して1年間同じところに住んだことがないのだ。あくまで平均なので1年住んだ町もあるが、なんにせよ恐ろしい頻度である。

今住んでいるところに引っ越して10ヶ月、もう引越しをしたい。放浪とはまた違う気がするが、一つのところにとどまるのが苦手なのだ。または、愛着を持ってしまうのが怖いのかもしれない。

だから、まあ恐らくどの家もほどよく駅から近かった上に、津田沼(×2)、大宮、田端(×2)、阿佐ヶ谷(×2)、横浜、と交通の便も良く、買い物にも困らず、バイトにも(仕事にも)困らないところだったというのも関係しているだろうが、今まで住んだどの家にも町にも同じくらいの思い出と愛着しか持っていない。

ちなみに今住んでいるのが横浜である。絶対に特定しようと試みる人間もいないし、特定されて困ることといえば置き配指定の荷物を盗まれるくらいだろうと思うので堂々と公開しておく。

わたしだって当然、初期費用や、どうしてもついてしまう猫の傷に何十万円という単位で退去費用を払いたくもない。そして空っぽになった部屋を見れば一人前に焦燥感的なものを感じたりもする。この鍵を回すのも最後か、、、と思ったりもする。

しかし少なくとも住んで半年すると飽きてしまうのだ。はじめに、景色に見慣れる。次に、どんなに便利だとか快適であっても家そのものに飽き、嫌気がさし、「引っ越したいだって今の家は」というのが大体はじまりである。

それで引っ越してしまうのだ。馬鹿なのかと思う。なのか、というよりも馬鹿だと思う。

馬鹿なのだ。馬鹿なのだから、本や服を段ボールに詰めて引越しごっこでもして我慢しろとお思いかもしれないが、そんなことはとっくに試みている。それではだめなのだ。家具や家電がなくならないといけない。そもそも本や服を段ボールに詰めたところで見慣れた景色が変わるわけでもないし、家の扉の色も変わらない。つまらないではないか。

だからわたしは引っ越しがしたい。本質としては何かに自分という人間が染みつくことが嫌いなのだろうけれど、この解決方法は引っ越ししかないのだ。

しかしこれまでの居住地を考えるともう引っ越せる場所がないというのが現在の問題である。

え、問題って引っ越し癖じゃないの?という疑問を持った方にお伝えしておくが、引っ越し癖についてはとうの昔に諦めている。

そう、住めるところがないのだ。

現在わたしは東京の学校に通っているため、少なくとも首都圏に住まなければいけない。だがしかしご覧になった通り、もう千葉東京神奈川埼玉全てに住んでしまったのだ。いやいや、お前、板橋区役所前とかマイナーな駅に住め、と思うかもしれないが(板橋区役所前にお住まいの方がいたらすみませんが)、そういう問題ではない。いや、そういう問題なのかもしれないが、元ビッチは大変なのだ。板橋区役所前ではないが、ここの駅にはこの人が染みついているから嫌とか、この周辺は鬱が悪化するから無理とか、そういったわがままな問題がたくさんある。(当然ながら、ここはいいけど家賃30万円は払えないとかいうのもある)

そういうわけでわたしは今日も悶々と引っ越し欲を抱えながらスーモを睨んでいる。スーモを睨むわたしを5回の引っ越しに付き合わされた猫と、3回の引越しに振り回された夫が、同等かそれ以上に、睨んでいる。

ちなみに(というのが適切かどうかは置いておいて)夫とは妥協とほんの少しの愛で和解した。こうして夫婦は進んでいくのだ。心機一転だ。やはり引っ越しである。