たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

何をしても一人

歴史ある句をもじり、くだらないタイトルにしてしまったことを先にお詫びしたいところである。

この2年間について特記すべき事項はあるだろうかと考えた。暇なのだ。

先週の祝日、人生で2度目のコロナにかかった。症状が出た日も同じ日だったので3日間仕事だけしていてよかったと思った。しかしながらおファックだ。39度も熱は出るし、また味覚と嗅覚を失った。咳が続いているし声は出ないので仕事もしばらく休みになる。

今思い出したが、1度目にコロナにかかったときもわたしはこのブログを閉鎖していたのだった。前にかかったのは21年がはじまってすぐの1月だった。おめえの免疫はどんな働きをしてんだという感じだがきっとウイルスの型が違うのだろう(知らないけど)

そもそもわたしは免疫力が非常に低く、免疫を獲得する力もとても低い。ワクチンを打っても抗体がついたことは一度もない。看護師として壊滅的な体質といえよう。

話がそれた。2年間の間で変わったことといえば、携帯の機種とか電話番号とか、そのくらいだと思う。あとは恋愛に関してもう泣くことはないと悟りらしきものを感じたくらいだ。

2年間、結婚していた人から隠れるようにして生活していた。離婚調停後に殺してやりたいと言っていたと風の噂で聞いたが、2年間殺しに来ないということは概ねもう殺すつもりはないということだろう。電話番号を変えたお金を返して欲しい。

恋愛に関して、厳密にいえば恋に関して、せんせいが他の誰かと結婚して、ちゃんとお互いにさようならをして、わたしの人生からいなくなったときにもうこれ以上辛いことはないとわかった。泣いて泣いて、これ以上ないというくらいまた泣いて、自分の間違いを、大好きな人を中途半端に手放した結果を思い知った。だから将来結婚する人には悪いが(また結婚する気かよ)、わたしはせんせい以上に人を好きになることはない。愛することはあったとしても、好きだと思うことはない。

実際、離婚してから復縁した(ややこしい)ゴミのような激ヤバサイコパスの元彼氏としっかりすっぱり別れた6月も、一滴の涙も流さなかった。ちなみにこれは言い訳ではないが、何回も復縁したのだからまた戻れるかもと思っているとかそういうのとは違う。ただわたしの人生と恋愛が密接に張り付いていた時間が終わったのだと思う。サウダージみたいなことを言ってしまった。違うか。

まあいい。とにかくわたしの人生は恋愛と少しだけ遠いところに存在するようになった。だからこの2年間はおおむね、何をしても1人だった。1人でいなくても1人だった。実習が辛くても、友達と喧嘩をしても、猫に鳴かれても、ずっと1人だった。だからもう今までのように恋愛がうまくいかなくなったから死のうとか腕を切ろうとかそんなことは思わない。もちろんここでせんせいがのこのこと現れて「離婚したんだ」とか言ったら別だが、せんせいは離婚するような人と結婚しないだろうからそんなことは起こらない。

ただまた人と一緒にいたいから恋愛はする。好きにもなる。いつか誰かを愛せる。せんせいを思ったより深く。

そんなわけで今日もせっせとティンダーでスワイプをしている。なぜお手軽セックス御用達のティンダーで恋愛も求めているのかについてはまたいずれ書こうと思う。2年経ってもわたしはあまり変わらない。ただ少しだけ泣かない人になった。まあしかし好きな人からは2日間返信が来ないし咳が残り息苦しさはあるが今日も生きるぞ、まなちゃん

あ、念のため書いておくが今回わたしがコロナを発症した経緯に一切出会い系アプリの人間は関係ない。