たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

あなたにかえる

日曜日、電車に乗ってもうすぐ結婚する人と鎌倉に行った

しらす丼を食べてもう夜みたいな海をみた。光がない海は暗くて冷たくていつか死ぬときはこういう海がいいなと思った。こんなふうにほとんどなんの不安もなく未来のことを考えたのは久しぶりだった

東京に戻る電車の中で家を探して送りあったりした。海の見える家、地震が起きたらたどり着けないみたいな家、どこに住んでもわたしは安心してただいまもおかえりもいってらっしゃいも言えるだろうなと思った。そういう環境を一緒に作ってくれようとしている人に感謝した。

東京駅でそういえばほしい指輪が売っていたことを思い出してついでみたいに見に行った。草と花みたいなデザインのそれはやっぱりかわいくて、いつかこれをもらう時がきたら嬉しいなと思っていたらその場で購入する感じに話が進んでいて仰天した。本当にいいのか何回か確認したけど、30分後にはちょうどサイズが合ったわたしの指輪と、全然サイズがなかったその人の指輪の注文票が手元におさまっていた。

わたしは自分の行動力と決断力を今まで会った人間の中でも相当はやい方だと思っていたが、はじめてそれを越す人に会ったかもしれないと思う

まなちゃんに指輪をつけさせてくれるかなと聞かれたので嬉しくなってしばらくそれらしい場所を探して散歩した

結局噴水のあるスターバックスのまえで指輪をつけてもらって、これから楽しく暮らしましょうねと言い合った。必ず叶う呪文みたいに思った。楽しく暮らしましょうね。

まなちゃんまなちゃんまなちゃんまなちゃんまなちゃんまなちゃんそれは一体誰ですか、どなたと結婚するんですか、いつのまにそんなことになりましたか

夢オチみたいになったがこれはわたしの馬鹿みたいな夢ではない。本当の話である。一体誰とという部分に関してはめずらしく伏せるが、今までこのブログに登場したことはない人物である。一言であらわすのはすごく難しいが、深海魚みたいに穏やかで獰猛な人だと思う。あと好きな匂いがする。いつのまにということでいえばこの1ヶ月くらいの間にという感じである。会ったときから結婚とは何かとか、生活像の話とか、これまで生きてきたこととか、そういう話ばかりした。たぶんこれからさき一生その人が感じてきた辛さや悲しいことを理解することはないと思うし、わたしのこれまでの辛さや死にたさをその人がわかろうとすることはないと思う。理解するとかわかるとかそういうことではなく、ただ事実としてそういったことがあったということも含め、これからを楽しく生きようという単位を構築するために結婚する。

わたしたちはお互いにほとんど触れたことがないし、その人にはいま何人か付き合っているみたいな女の子が何人かいるし、わたしもせんせいのことを忘れることはないが、そんなことはあまりこのこととは関係がないのでした。

めでたしめでたし。(〜なのでしたで文章が終わるとイギリスの昔話みたいになるね)

まあいまがいかにめでたくとも、これから先の人生もめでたいとは限らないのだがとにかく人生をより楽しく生きていく相手をみつけたという話だ。これは確信で、もし仮にいつか楽しく生きられない日が来ても、誰かがわたしにこんなにも素敵な指輪をくれたことや馬鹿けた提案と真剣に向き合ってくれたことは何も変わらない。たのしく生きていく。どこまでも。

それでは次回はまなちゃん、かとうでなくなる件

せっかくなのでもらった指輪見せびらかして終わる。またね

f:id:idwn:20231129220055j:image

 

おまえはしあわせ

自分をしあわせにできるのは自分だけというのは真っ赤な嘘である

と思う。(弱気)

よくそれなりに成功しましたみたいな人やその周りをうろうろしている女がほざいているイメージなのだが、それって驕り高ぶりじゃないですか〜???????

※わたしの父の愛人のラインの一言がこの自分をしあわせにできるのは自分だけというふざけた文言である。自分でしあわせになれるなら愛人やるな

そもそも自分を自分でしあわせにできるのなら人間はここまで社会化していないと思う

また、成功とかそれに伴うお金とか資産とかそういったものを全て奪われてもしあわせだと言えるのかといった疑問もあり、わたしが思うしあわせの前提条件が歪んでいるという説もあるのだが兎にも角にも自分の現在のしあわせを作り出しているのは自分であるという主張には一度も納得したことがない

ただわたしは最近しあわせである。なんと!しあわせが何かどこへ向かえばいいかわからないなどとアンジェラアキみたいなことを1ヶ月前には仰っていたではないですか!という感じなのだが、したくないことはしない、できないことはできないとする、解決できることは解決していく、みたいな単純なルールを自分に設けたところなんとなくではあるがめちゃくちゃハッピーな能天気女になった

たとえばしたくないことといえば仕事だったのだが、厳密にいうと看護師をしたくないだけだったので休職したし、できないことでいうと間違いなく恋愛だなと気づいたので人生において人を特別に好きになろうとする努力やめることにした。なおこれは恋愛で気が狂うからとかいう話ではなく、元々気が狂っているのに恋愛などしている余裕はないからという話である

解決できることとは簡単に言えばお金でどうにでもなることで、遅刻しそうなときにタクシーを使うみたいな話だ。どうしてもADHDが発動し友達との待ち合わせに遅刻して自己嫌悪に陥ることなどが多々あったのだが、これも時間をお金で買うことで解決した。

ぱっと例をあげてみると、自分で自分をしあわせにしているように思えるが、これは自分の認識を変えたみたいな話であり、自分で自分をしあわせにしているわけではない。

たまたま見つけた看護師以外の仕事や、恋愛をしなくても一緒にいてくれる人がいること、お金を払えば移動できる社会が成り立っていることなどがわたしをしあわせにしているのである

ただ最近自分をしあわせだと認識できるのは自分だけだということにも気づいた

数日前、人からまなちゃんをしあわせにできるかわからないと言われたのだが、これはいかにその人が頑張ってしあわせにしてやろう!としたところでわたしにしあわせを認識する力がなければ成り立たない話であり、ただわたしに精度の高いしあわせ認識力が備わっていればいい話なのである

これまで生きてきたなかでわたしのしあわせを認知する力はかなり低かったのだと思う。というより、不幸だということばかり認識しすぎていたのかもしれない。

住む場所があるとかおかえりと言ってくれる人がいるとか、猫たちが健康だということには目もくれず、お金がないとか他の人の暮らしがどうみたいなことばかり気にしていたように思う

あやうくいつまでもしあわせになれないところだった。

人から見たら今のわたしは風俗嬢だし(実はもうすぐ辞めるのだが)、バツイチだし、腕にはリストカットのあとがあるし、あまりしあわせじゃないかもしれない。でもはっきり言ってわたしはしあわせである。猫たちがいまのところは健康で、それから数は少ないけど友達がいて、猫たちも友達もいなくなってしまう時がきてもわたしのことを好きで大切にしてくれたことは残って、また、恋愛ではないがこれからなんとなく関係性をすすめていこうと話している人たちがいて、まあそれに関してはまた話がまとまり次第詳しく書こうと思うのだが、この先にも楽しいことが待っていて、しあわせ

こんなクソメンヘラ女が急にしあわせなどと言い出して恐怖する読者もおられるだろうが、変な宗教などにはハマっていないため安心していただきたい。そのうちまたしあわせが何かわかんなくなってきた😭😭😭😭😭死にたい😭😭😭😭とほざくこともあるかもしれないが、そのときは生温かい目で見守ってほしい。

またね

秋の窓あの夏にフェス

働いていたところが摘発された

これを書いていいのかわからないけど本当に悲しくて驚いている(だめそうなら後から消す)

19歳ではじめてお店に行って20歳の時働き始めた。普通のサラリーマンが変な格好をしてお酒を飲んだりして、それでまたサラリーマンに戻っていくところが好きだった

窓がなくていつもたばこの煙で充満している店内で誰かが常に泣いたり笑ったり叫んだりして生きていた。

お店のこと、だいすきだった。いろんな人がいい顔をしないことは知っていたし、しんどいことももちろんあったけど大好きだった。だから同棲を解消して1番に戻った。帰る場所だと思っていた。なんというか物理的に帰る場所、というのではなく普通に生きられなくてつらいときに気持ちが帰る場所だと思っていた。そういうふうに思っていたスタッフはたぶんわたしだけではないと思う

婚約破棄をしてずたぼろで毎日ODして腕切っていたころ、表向きはなんにも言わずに働かせてくれたところだった。フェスに行けない夏に邦ロックばっかり流して踊った。流しそうめんした。泣いたり笑ったりしたけどほとんど休んだりしなかった。たぶん一生だと言える友達みたいな人が数人できた。大事な場所だった。17歳で家を出て、ただいまと言っていいところをはじめてみつけたと思っていた。誰かがいなくなるとか、会えなくなるとかそういうことにこれまで何度か直面してきたけど、これはそれとも違う、本当に人生の一部が失われてしまったように思う。取り戻せないことはこの世にあまりないと思っていた。亡くなった人とはいつか会えると思っている。実際にはそうでないのだけど、大切な思い出がある場所が失われることは、思い出ごと失われることで、何も取り戻せない気がしてしまう

ただ思い出は静かに奥にしまっておくようにする。いろんなことがあった。大好きな場所だった。6年間と世界の終わりみたいな恋と、それからなによりも大切な友人をありがとう

わたしはあの雑居ビルの2階のことを忘れないと思う、これから先もずっと

何色に咲くの

泣きたくなるほど大切な人がいるだろうか。わたしにはいる。夜になったスターバックスでなぜかいろんなことを思い出して泣きそうなほど大事な人がいる

その人とは15歳の時に会った。やられたと思った。わたしが絶対に入部すると決めていたハンドボール部のマネージャーを同じく希望してきた女が、その人だ

髪の毛が少し茶色くてしかもそれは地毛だとわかる色でなんだか明るくてよく笑う感じで絶対にこの人はすぐに馴染んでいってわたしはいつもみたいな疎外感に襲われてマネージャーを辞めることになるんだろうなと思った

結論から言うとその人は確かによく笑ってすぐに部活に馴染んでいったけどわたしを仲間はずれなんかにしなかったし10年後のいまもこうして本当に大切な友達としている。

この10年間でその人が泣くほどの失恋をしたところを3回見た。失恋でなくても泣くほど辛いことは数えられないくらいあってその度に全然励ませないカラオケをした。ムーンクライングを流すといつも泣いて、結局2人で笑った。

もちろんほとんどのときは笑っていたし、そもそも大人になってから彼女はあまりすぐに電話したりしなくなっていたからわたしが失恋などを知るのはそれが起きた1ヶ月後とかだったりしたけど、会った時の話ぶりで悲しかったことも辛かったことも少しわかった。

好きな人が他の誰かと手を繋いでいるのを目撃して泣いたその人はもうおらず、おそらくは1人で泣くようになったのだと思う。いつのまにか顔にあったほくろもきれいに消えて、わたしが勝手にチャームポイントみたいに思っていた八重歯も今はすっかりおさまっている。

別人みたいだと思ったことはない。わたしの前で泣かなくなっても、ほくろも八重歯もなくなっても、いつも一緒に同じだけ笑って泣いて怒ってくれるひとだ。会った時からいままでそれが変わったことはなくて、だからたとえばこれから彼女がいくら太ったり痩せたり整形したりあるいは全然想像もつかない言語とかを話し始めたり、または犬や猫や金魚に生まれ変わったとしてもわたしにとって大切なたった1人の存在であることに変わりはない

実は宇宙人だったとしても、鳥とか虫になったとしてもその人はまた一緒に笑って泣いて怒ってくれることを信じて確信すらしているから、わたしにとってそんなことはどうでもいいのだった

これまでの10年間ほんとうに色々なことがあった。わたしたちは目まぐるしく大人になるほかなかったし、その中でたぶんすれ違っていった思いや価値観もあっただろうと思う。これからの10年間もいろんなことが起きて、同じようにいろいろなことが変わっていくとわかっている

たぶん、お互いより近くて好きな人ができたりもする。もしかしたらこの10年間では起きなかったすごく大きな喧嘩とかも起きるかもしれない。本当にもしかしたら会えないようなところにいってしまうこともあるかもしれない。それでもつぎの10年後も、その人はわたしの大切な人だ。

今日、大切な人が26歳になった。これまでもこれからも大切な人だ。10年前から今までを泣いたり笑ったりして過ごした。彼女のこれからの10年間はなるべく楽しいことばかりあって欲しいと思う。泣くこともあるだろう。でも何倍も何十倍も笑っていてほしい。泣いちゃうときにはこれからも一緒にいたい。一緒じゃなくても思い出して笑ってしまうようなことをこれからもずっとたくさん増やせたらいいと思っている。1416字に渡る長い前振りはこのくらいにし、そろそろ本題に入って終わる。これから先の数行はただ1人に向けたお手紙だから読まなくてもいい。

お誕生日おめでとう。あなたの1年が、これから先の10年や20年や50年がずっとずっときらきらしていますように。大好きです。またすぐに会おうね

おわり

 

 

 

お願い来世ひかりを希望を

死のうと思っていると人から打ち明けられていろんなことを思い出したので書く

なおもちろん死のうと思っている人に自分の話をするほど自我の強い人間ではないので安心していただきたい

わたしがはじめて明確に死のうと思ったのはたぶん小学3年生の時だ。私が帰るまでに家を出て行ってねと母に言われ、行くところもないし死のうと思って青梅をかじった。結論から言えばもちろん一粒の青梅に小学3年生を殺せるほどの青酸カリは含まれておらず死ななかったのだが、今思えばあれが人生最初の自殺未遂だった。

そのあとも21歳の少し前まで何度か本気で首を吊ったりした。21歳になるとき死のうと思っていたし、運が悪ければ本当に死んでいたと思う

それらを今思い返してみて、本当に死ななくてよかったと心の底から思うかと言われれば全くもってそんなことはないし、たとえば「生きててよかった」とスーパーで突然泣いた日もあったが、生きててよかったと思えたほどのしあわせも2年で失われた。ただ小さい、ご飯がおいしいとか、大事な友達の誕生日を祝えるとかそういうことでまあ生きていてもよかったなと思うことはあるが、ではいまからお前が寝ているうちに殺すよ〜ん!と言われて嫌だなとは思わない。根本的にわたしは根性なしのわがままブスなので痛いのも苦しいのも怖いのも嫌だからたった今死んでいないわけなのだが、痛くも苦しくも怖くもなく殺してくれる人がいるというならぜひお願いしたいくらいだと思っている

だからまあ死のうと思っていると言われてもそれはそうだよなとしかこたえられないのだ

わかる〜と言っては自分の話になってしまうし、それはそうだよなと言っても2人でしゅんとなるだけなのでいったん回答は保留にしておいたのだが、いずれにしても生きていくのは難しいよなと思う

それぞれにつらいことや悲しいことが日々少しずつ蓄積していって、そういうなかで生きられるだけの希望みたいなものをいつまで見つけられるだろうと思ったりした。ミスチルみたいな言い回しになったが、でも本当にそういうことだと思う

つらいことや悲しいことがない人なんて存在するわけもなく、明日を生きるための力がなくなることだってある。そういう中で死ぬほうを選ぶ人を批判する権利は誰にもないと思う。明日を生きられなくなる可能性は等しくはないけど誰にでもあるのだから、そういう道を選んだ人を少なくとも優しく送り出すほかないのではないか、と思ってしまう

生まれ変わったらみんなそういうことを思わなくていい世界にいけばいい。すごく深い海の底とか、誰にも会わないアマゾンの奥地とか、高い雲の上で雪が雨になるところとか、そういうところにいけばいい。

だって誰も死にたくならない世界なんてない。ただ少しの希望とか光みたいなものがあると信じて明日を生きてみたりするほか、死ぬことを選ばない我々にできることはないのだ。とりあえず死にたい人が今日はできる限りゆっくり寝られたらいいと思う。

おわり。

その庭の金魚バスタブのプロポーズ

なくしてから気づくことが多くて悲しいと思っていた。なくさないと気づかないわたしは馬鹿でまぬけでクソだと思っていた。たぶん違った。別にわたしは馬鹿でまぬけでクソだが、なくさないと気づかないわけではなかった

昨日本当にそれ以来はじめて、新婚生活を送った土地にいた。松田に対する気持ちを整理したいと思ったからいた。わたしは一体、松田に何を思っているのか自分でもわからなかった。久しぶりに会って好きかもしれないと思ったことは確かなのだが、恋愛として好きと呼ぶには微かな違和感がずっとまとわりついているような、よくわからない感情を持て余していた。結論から述べると男性だからというわけではなく人間として好きであるし、今はじめて友達なりたいと思っているのかもしれないと思う

さて、新婚生活を過ごした街は変わっていないように見えて実際細部のお店や街並みは少しずつ変わっていて、本当に人と同じだよなと思った。変わっていないように見えるけど細部は違うことになったりする。結婚した時から5年も経った。結婚しようと言ったバスタブには汚れたホースとか発泡スチロールが詰め込まれていて、ドアには家の取り壊しが2週間前から始まっていると張り紙がしてあった

罠だろ、と思った。以前書いたようにわたしは松田の上司と彼の転勤を勝手に推し進めたのだが、仮にそうしなかったとしてもその4年か5年後には家の取り壊しが決まって、住み慣れた家を出ていくことになっていた。どこかで自分の思い通りにしたいわたしのひどい傲慢さがきっとそこで発揮されてどちらにしても離婚することになっただろうなと確信した。実際にはそうならなかったかもしれないが、どの側面から考えても離婚くらいするまでわたしは自分の傲慢さに気づくことができなかっただろうからたぶんこれは正しい。どうしてなくなるまで気づかないことがこんなにもあるのか、わたしは愚かで悲しかった。しかしよくよく考えたすえ、これはなくなるまで気づかないことではなく、なくさないと得られなかったものなのかもしれないと思った

なくなるまで気づかないことは、本当はなくしてはいけなかったものだけど、今回の一連のことは、たぶん人生のどこかで一度なくす必要があったことなのだと思う。5年前に松田のことを好きになって結婚して嫌いになって恨んで憎んで離婚して、5年後の今再会して、ペペロンチーノ作ってもらったこと、松田の味方でいたいと思ったこと、わたしの味方でいてほしいと思ったこと、今、近すぎて遠すぎる感情を持て余したこと、結局友達になりたいと思ったこと、そういう全ての中で相手を失ったり相手の中で失われたりして松田もわたしもいたことは必要だったし、そういう風な相手として少なくともわたしは絶対に松田を必要としていた

そしてまだ何もわからないことだけど、これから先も友達であったり、恋愛は関係しなくとも友達からそれ以上やそれ未満のなにかとして松田が必要なのだろうと予感する。

というか松田は再会したときそういうふうなことを言っていたのにどうして自分が納得いくまで受け入れることができなかったのだろうと思うし、やはりわたしは馬鹿で間抜けでクソなのだった

まあこの話は全部きれいにまとめすぎかもしれないし、正当化かもしれないけど今はそう思う。

もうすぐなくなる赤茶色の二階建ての家で夏にすくった金魚と猫と好きな人と暮らした。泣いたり笑ったりした。その時は楽しかった。その家の庭には金魚が1匹埋まっている。バスタブでプロポーズして結婚した。

もうその家をそのままの形で見ることはない。懐かしくなったとて他人がそこでする生活をなぞって思うこともできない。それを選んだのは他でもないわたし自身で、だからそれを選んでよかったと思うように今やこれからを生きていくしかないのだ、ともう一度強く思う。これからのことも、これまでのことも修飾できるように、今日を生きる。少なくとも今日を、可能であれば明日を。死ぬなよ、まなちゃん

またね

 

 

幸福はただいま準備中

連日日記のようになっているが、書く

昨日サーフィンをして海から出た夕方、寒気に襲われたので早々に風邪薬を飲んだのだが案の定発熱した。このクソブログ5年目にしていまさら新事実をお届けするが、わたしはとにかく季節の変わり目というものに弱い。すぐに扁桃炎になって38℃とか熱を出すかゎぃぃ生き物なのだと思っていただきたい。

そんなわけでハプニングバーのバイトは泣く泣く休み、とっとと家に帰った。熱があると喉の奥が苦しくて無条件に泣きたくなる。いつもより繊維質な気がする毛布をかぶって少しだけ泣いて寝た。何回か起きて水を飲んで着替えたりして13時くらいにちゃんと起きた。熱はいったん下がったみたいで、眉毛アートにいく準備をした

わたしが絶対に今日熱を下げたかった理由のひとつめである。結論から言うと看護師ってやっぱり苦手だなと思ったがちゃんと眉毛にアートメイクが施された。そのため今わたしの額には人生で1番濃いまゆげがいる。

そしてまゆげを濃く生い茂らせたままこのクソブログの読者であるAと中華を食べるため電車に乗った。Aは5年来の読者であり、わたしが働いているバーに何度も来てくれた非常に稀有な存在である。変なバイアスがかかってしまうのは嫌なので年齢や性別は書かないが、とにかくわたしが信頼する数少ない人間の1人であるということはお伝えしておく

今回色々と相談があってわたしの方から飲みにでも行けたら嬉しいという連絡を1週間ほど前にした。Aはこんなゴミカスのような人間は遠くから観察するだけに留めたいだろうに真面目に返信をくれた上に素敵な中華を提案してくれ、実に4年ぶりの再会を果たしたのだった

中華は激混みで90分近くの待ち時間だった。わたしは時間通り着いたのだが、その時点でAは1時間近く待っていてくれたことになる。

その後わたしも一緒に少しだけ待ち、もくもくと中華を食べながらAはわたしの人生に対するねちねちした相談に、実に的確なアドバイスをくれた。

こんなにありがたい読者がいるだろうか。わたしは本当にブログを続けてよかったと思う。おいしい中華を食べられるからとか相談に乗ってくれる人がいるからとかではない。なにか見返りを求めてしてきたわけではないことが、不意に誰かからの優しさになって戻ってくることもあるということを知れるからだ。

Aとはしばらくごみごみしたまちを歩いて解散した。会えてよかったと言ってくれて嬉しかった。最近健康を害していると言っていたが、絶対に健康でいてほしいと思う。もちろんこれは全ての読者の皆様に思うことなのだが、あと20年ほどは健康でいてほしい。まなちゃんの人生はいま混沌の中にあるが、絶対にしあわせになるための準備中なのだ。不健康が進み、中途半端なところでブログを読めなくなってはわたしがしあわせになれずじまいで困る。そもそもそこまで誰もお前の人生の行く末に興味はねえよという話なのだがそれはまあよい。とにかく読者の皆様におかれましてはどうか健康に!野菜を食え、たばこを吸いすぎるな、お酒も飲みすぎるな!とか他人には言いつつも今すでに本日どこかへ行ったはずの扁桃炎が発熱と共に戻ってきた気配を感じている。ひい!!!!泣いて寝るのみ!!!おやすみ!!!

またね