たとえば明日とか

たとえば明日とか死ぬ

秋の窓あの夏にフェス

働いていたところが摘発された

これを書いていいのかわからないけど本当に悲しくて驚いている(だめそうなら後から消す)

19歳ではじめてお店に行って20歳の時働き始めた。普通のサラリーマンが変な格好をしてお酒を飲んだりして、それでまたサラリーマンに戻っていくところが好きだった

窓がなくていつもたばこの煙で充満している店内で誰かが常に泣いたり笑ったり叫んだりして生きていた。

お店のこと、だいすきだった。いろんな人がいい顔をしないことは知っていたし、しんどいことももちろんあったけど大好きだった。だから同棲を解消して1番に戻った。帰る場所だと思っていた。なんというか物理的に帰る場所、というのではなく普通に生きられなくてつらいときに気持ちが帰る場所だと思っていた。そういうふうに思っていたスタッフはたぶんわたしだけではないと思う

婚約破棄をしてずたぼろで毎日ODして腕切っていたころ、表向きはなんにも言わずに働かせてくれたところだった。フェスに行けない夏に邦ロックばっかり流して踊った。流しそうめんした。泣いたり笑ったりしたけどほとんど休んだりしなかった。たぶん一生だと言える友達みたいな人が数人できた。大事な場所だった。17歳で家を出て、ただいまと言っていいところをはじめてみつけたと思っていた。誰かがいなくなるとか、会えなくなるとかそういうことにこれまで何度か直面してきたけど、これはそれとも違う、本当に人生の一部が失われてしまったように思う。取り戻せないことはこの世にあまりないと思っていた。亡くなった人とはいつか会えると思っている。実際にはそうでないのだけど、大切な思い出がある場所が失われることは、思い出ごと失われることで、何も取り戻せない気がしてしまう

ただ思い出は静かに奥にしまっておくようにする。いろんなことがあった。大好きな場所だった。6年間と世界の終わりみたいな恋と、それからなによりも大切な友人をありがとう

わたしはあの雑居ビルの2階のことを忘れないと思う、これから先もずっと